「ですがちょっと待ってください。一体どのようにしてこんな矛盾が生じたんです。つまり彼ら自身の証言によれば、ノックはした、ドアは鍵がかかっていた、ということですが、その一方で3分後、庭師と共に戻って来てみると、ドアは開いていたということになっている。」
「そこには巧妙な仕掛けがあるのさ。下手人は間違いなくそこでじっとしていて、かんぬきをかけて閉じこもっていたんだ。間違いなく奴はそこで現行犯逮捕となったろうね。もしも軽率なまねをしたのがコーフではなく、コーフ自身が庭師を呼びに行ってなければ。で奴はまさにこの隙に階段を下り、見つかることなく彼らの傍らをどうかして通り抜けることができた。コーフが両手で十字を切って言っていたよ。“もしも俺がそこに残っていたなら、奴は飛び出してきて俺を斧で殺したろうな”って。ロシア式のお祈りを始めるところだったぞ、へっへ!・・」
「それじゃ下手人を誰も見なかったってことですか?」
「一体この場合どこで見ることができるんです?あの建物はノアの箱舟なんです。」そう指摘したのは文書係りで、自分の席から聞き耳を立てていたのだった。
「事は明白さ、事は明白じゃないか!」熱くなって繰り返したのはニコジーム・フォミーチだった。
「いや、事は全くもってして不明瞭です。」イリヤ・ペトローヴィチが締めくくった。
ラスコーリニコフは帽子を上げるとドアの方に歩き出した。だがドアのところまで彼は辿り着けなかった・・・。
彼が意識を取り戻した時に認識できたのは、椅子に座っていること、彼を右側から誰かが支えていること、左側に立っている別の人は黄色のコップを持っていて、それが黄色の水で満たされていること、そしてニコジーム・フォミーチが彼の前に立ち、彼の方をじっと見ていること、だった。彼は椅子から立ちあがった。
「これはどうしたことです。あなたは具合が悪いんですか?」かなり性急にニコジーム・フォミーチが尋ねた。
「その方はサインしている時も、そんな感じでかろうじてペンを動かしているといった風でしたよ。」そう発言した文書係りは自分の席に腰を下ろし、再び書類に取り掛かるところであった。
「で大分前からあなたは具合が悪いんですか?」自分の席から大声を発したイリヤ・ペトローヴィチもやはり次々と書類に目を通しながらであった。彼も無論病人のことをよく見ていた。当人が失神している間は。しかし当人が意識を取り戻すとすぐに離れて行った。
「昨日から・・・」もごもごとラスコーリニコフが返答した。
「ところで昨日は家から外に出ましたか?」
「出ました。」
「病人なのに?」
「病人なのに。」
「何時頃?」
「晩の7時過ぎに。」
「ところでどちらへ、とお尋ねしても?」
「通りを歩きに。」
「簡潔ですな。」
ラスコーリニコフは性急にぶっきらぼうに答えた。ハンカチのようにすっかり青ざめてはいたが、イリヤ・ペトローヴィチの視線を前にしても炎症を起した黒い瞳を下げることはなかった。
「彼はなんとか立っているという状態だぞ、なのに君は・・・」とニコヂーム・フォミーチが言いかけた。
「どうって‐こと‐ない!」どこか独特な言い回しでイリヤ・ペトローヴィチが言った。ニコヂーム・フォミーチはさらに何か付け加えて言おうとしたが、書記係りの方を見るとやはり熱心に彼の方を見つめていたので、黙ってしまった。全員が突然沈黙した。妙な感じだった。
「ふむ、閣下、結構でございます。」イリヤ・ペトローヴィチが結論を下した。「我々はあなたを拘束いたしません。」
ラスコーリニコフは外へ出た。彼にはまだはっきり聞き取ることができた。彼が外に出た直後に始まった活発な会話を。そこではニコヂーム・フォミーチのいぶかしげな声が誰よりもよく響いていた・・・。通りで彼は完全に意識を取り戻した。
“捜査、捜査だ。すぐに捜査だ!――彼は胸の中でそう繰り返した。家に向かって急ぎつつ。――あいつら!疑がっているぞ!”先程の恐怖が再び彼の全身を、足の先から頭のてっぺんまで包んだ。