「罪と罰」52(2−1)

 「そんな感傷的な細々した話は何もかも、閣下、我々には関わりありません。」傲然と切り捨てたのはイリヤ・ペトローヴィチであった。 「あなたは証書と誓約書を出さなければいけないんであって、あなたがどれほど惚れていなさっただとか、その悲劇的な役回りの一切合切、そんなことは我々には全く関係ないことです。」

 「全く君は・・・無慈悲な・・・」そうつぶやいたニコヂーム・フォミーチは机の方に向かって腰かけると、やはり署名の仕事に取り掛かった。彼は何だか恥ずかしくなっていた。

 「書いてくださいよ。」書記係りがラスコーリニコフに言った。

 「何を書けばいいんです?」と尋ねたその人の口調は何やら特別ぶっきらぼうであった。

 「では私があなたに口述します。」

 ラスコーリニコフには、彼が告白した後、書記係りが彼に対し一層ぞんざいに軽蔑的になったように思われた。だが妙なことに、誰かが考えていることなど彼自身にとって突然決定的にどうでもいいことになってしまった。そしてこの変化はどうかして一瞬のうちに、ほんの短い間に起きたのであった。仮に彼が少しでも考えようとしたのなら、当然彼らと一分前あんな風に話をし、自分の感情を押し付けようとまでしたことに驚いたであろう。一体この感情はどこから生じたのだろうか。反対に今仮に突然部屋が警察署員にではなく、彼の親友たちによって満たされていたとしたなら、その時でも彼らに向けたたった一つの人間らしい言葉も見つからなかったかもしれない。それほど突然心が空っぽになってしまったのだ。闇に包まれたような、苦しい終わりなき孤独感、疎外感が突如彼の心に自覚された。彼の心を突然これほどまでに一変させたのは、イリヤ・ペトローヴィチの前でした真情の吐露の下劣さでも、彼に対する中尉の勝利の下劣さでもなかった。ああ、彼にとって今自分の卑しい行為だとか、ありとあらゆるこうした自尊心だとか、中尉だとか、ドイツ女だとか、徴収だとか、役所だとか、その他、その他諸々が何だと言うのだろう!もしもこの瞬間火刑の宣告が彼に下されたとしても動じないだろうし、判決を真面目に聞きすらしないだろう。彼の身に起きていたことは彼にとって全くなじみのない、新しい突発的な、未だかつて未経験の何かであった。彼は理解していたというよりは、はっきり感じていたのだ。ありとあらゆる感覚でもって。先ほどのように感情を表に出すのはおろか、どんなやり方であっても彼はもうこれ以上この人達と区警察署で話をするのは不可能である、と。仮にそれらがみな彼の血を分けた兄弟姉妹であって、区警察の中尉でなかったとしても、彼は彼らと話す意義を全く見出せなかっただろう。例えどんなことがあったとしてもだ。彼はこの瞬間までこれに似た奇妙で恐ろしい感覚をまだ一度も経験したことがなかった。何よりも苦しいことに――それは意識や概念というよりむしろ感覚であったのだ。直接的な感覚であり、彼がこれまでの人生で経験してきた全感覚の中で最も苦しい感覚であった。

 書記係りはこのような場合における一般的な証書の書式を彼に口述し始めた。つまり、お金を払うことはできません、いついつに(いつとは言えないが)払うことを約束します、都市から外に出ません、財産を売ったり贈与したりしません等々。

 「書けるはずありませんね。ペンが手から落っこちますよ。」そう指摘した書記係りは興味深そうにラスコーリニコフをじっと見ていた。 「具合悪いんですか?」

 「ええ・・・頭がくらくらして・・・先を言ってください!」

 「これで終わりです!サインしてください。」

 書記係りは文書を取り上げると他の人々の相手をし始めた。

 ラスコーリニコフはペンを返すと、立ち去る代わりに両肘をテーブルにつき、両手で頭をおさえた。それはまるで釘が頭頂部から彼に打ち込まれたような具合であった。妙な考えが突然彼の頭に浮かんだ。今すぐ立ち上がってニコヂーム・フォミーチの元に行き、昨日のことを残らず話す。細かい点まですべて。そして彼らと一緒にアパートに行って隅っこの穴の中にある物を見せる。その欲求があまりにも強かったので、彼はすでに実現に向け席から立ち上がっていた。“せめて一分くらいよく考えてみなくていいのか?”彼の頭の中で声が聞こえた。“いや、むしろ考えたりしない方がいい。これで肩の荷が下りる!”だが突然彼は釘付けになったように立ち止まった。ニコヂーム・フォミーチが熱くなってイリヤ・ペトローヴィチに話しかけており、その言葉が彼の耳に届いたのだった。

 「あり得んよ。二人とも釈放だ!第一に何もかも矛盾している。考えてもみ給え。何のために彼らは庭番を呼んだんだ。もしもあれが彼らの仕業だとしたら?自らに疑いがかかるような真似をするか?それとも狙いあってのことか?いや、そりゃあまりにも狙いすぎってもんだろ!で最後に学生のペストリャーコフをちょうど門のところで二人の庭番と町人の女が見ている。まさに彼が中に入って行った時にだ。彼は三人の知り合いと連れ立って歩いていて、ちょうど門のところで彼らと別れた。そして住居のことについて庭番に尋ねたんだが、その時まだ知り合いはいた。奴さん住居について尋ね始めたりするかな。もしもあんな意図があって来たのだとしたら。でコーフ、そう例の奴なんだが、老婆のとこに来る前に下の銀細工師のとこに30分いて、きっかり8時15分前にそこから上の老婆の元へ向かった。さあ頭を働かせてくれ・・・」