「罪と罰」72(2-5)

 それはもう若くない鯱張った威厳のある紳士で、用心深い、不平が口を衝いて出そうな顔つきをしていた。彼がなした最初のことは、ドアのところで立ち止まり、腹立たしいほどにあからさまな驚きを持って辺りを見回すことであった。それはまるで“一体俺はどこに来てしまったんだ?”と視線で尋ねているようであった。疑わしそうに、またいくらか驚いた、いやほぼ侮辱ですらあるという演技までして、彼はラスコーリニコフの窮屈で天井の低い“船室”を見回した。同様の驚きをもって視線を当のラスコーリニコフに移し見据えた。服は脱いだままで髪はくしゃくしゃ、風呂に入っておらず、みすぼらしい汚れたソファに横たわり、やはり彼を身動きせず凝視していた。その後、同様な緩慢さでもって、しわくちゃな服、そっていない髭、整髪されていない髪型というラズミーヒンの格好をじろじろ見始めた。その当人は今度はこちらの番とばかりにその場から一歩も動かず彼の目を厚かましいほどの不審さをもって真正面から覗き込んだ。緊張した沈黙が一分ばかり続いた。すると仕舞に、予期されたとおりの小さな変化が現れた。ある非常に、まあその刺激的な情報からして、ここ、この“船室”での誇張されたいかめしい態度は全く何ももたらさないであろうと判断し、入ってきた紳士はいくらか態度を和らげ、うやうやしく、もっともくだけたというわけではないが、ゾーシモフに向かって、自分の質問の音節一つ一つに明瞭な区切りを付けて言った。

 

 「ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフさん、学生あるいは元学生の?」

 

 ゾーシモフはゆっくりと少し身を動かし、ひょっとしたら返答していたかもしれなかった。もしもラズミーヒンが、呼ばれてもいない彼が機先を制しなければ。

 

 「その男はソファに寝てる!で何の用です?」

 

 この馴れ馴れしい“で何のようです?”は、鯱張った紳士を食いつかせる結果となった。彼はあやうくラズミーヒンの方を向きかけたが、なんとか自分を抑えることに成功し、すぐまたゾーシモフの方に向き直った。

 

 「あれがラスコーリニコフ!」ゾーシモフは頭で病人の方を指し示し、もごもご言った。それ後あくびをしたのだが、何かその尋常じゃないほど口を大きく開き、尋常じゃないほど長く口をそのままの状態にしていた。それからゆっくりとチョッキのポケットの入り口の捜索に取り掛かると、ばかでかい中高のふたのある金時計を取り出し、蓋を開けて見た。そして同じようにゆっくりと、面倒くさそうにまたそれをしまうために入り口の捜索に取り掛かった。

 

 当のラスコーリニコフはずっと黙って仰向けで横になったまま、執拗に、とは言ってもこれといった考えはさらさらなく、入ってきた人の方に目を向けていた。その顔は、今は興味を引いていた壁紙の花の方は向いておらず、殊の外青く、尋常でない苦悩を表していた。それはまるで苦痛を伴う手術を耐え切ったばかり、あるいは拷問から解放されたばかりといった具合であった。だが入ってきた紳士は次第に彼の注意を引き始め、疑惑、さらには不信、恐怖感のようなものさえ生じてきた。ちょうどゾーシモフが彼を指して“あれがラスコーリニコフ”と言った時、彼は突然さっと上体を起こし、ちょうど跳ね起きるようにして寝床の上に座り、ほとんど挑戦的とすら言える、だが途切れ途切れの弱々しい声で言った。

 

 「そうだ!俺がラスコーリニコフだ!何のようです?」

 

 客は注意深い視線を向けると心に訴えかけるように言った。

 

 「ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンです。私の名前をすでに全くお聞きになっていないわけではないことを心から期待しております。」

 

 だがラスコーリニコフは全く違う何かを予期していたので、ぼんやりと物思わし気に彼の方を見て何も答えなかった。まるでピョートル・ペトローヴィチという名前を疑いなく今初めて耳にしたような具合であった。

 

 「なんと?あなたは本当に今まで何の知らせもまだお受け取りになっていない?」やや体を曲げながらピョートル・ペトローヴィチが尋ねた。

 

 この問いに対する返答として、ラスコーリニコフはゆっくり上体を枕の上に倒すと、両手を頭の後ろに回して天井を見始めた。ルージンの顔に憂悶が現れた。ゾーシモフとラズミーヒンは一層強い関心を持って彼をじろじろ見始めた。彼は仕舞いに明らかにきまり悪くなった。

 

 「私が予想していたのは」彼はぼそぼそと話し始めた。「手紙が投函されたのはもう10日あまり前、おそらくは2週間も前なのですから・・・」

 

 「あのう、なんだってずっとドアのところに立ってるんです?」突然ラズミーヒンが口をはさんだ。「説明することがあるんであれば、座ってください。二人じゃ、ナスターシャとじゃそこは狭いでしょ。ナスタシューシカ、どいてくれ、通してやってくれ!さあこっちへ。ここがあなたの席です。なんとか通り抜けてください!」

 

 彼は自分の椅子をテーブルから離し、テーブルと自分のひざの間にちょっとした空間を作ると、客がこの隙間に“なんとか通り抜けられる”よう不自然な姿勢で待ち構えた。どうあっても断れない一瞬であった。客は急いて躓きながらどうにか狭い空間を通り抜けた。椅子に辿り着くと彼は腰を下ろし、疑い深い視線をラズミーヒンに向けた。

 

 「でもまあ一つ気を悪くしないでください。」彼は不用意に発言した。「ロージャは具合が悪くなってもう5日目で、3日間はうわ言を言ってましてね。でも今は意識がはっきりして、食事までできました。こっちに座ってるのは彼の医者で、ちょうどいま診察したところなんです。で私はロージャの友人で、やはり元学生で、で今はこの通り彼の面倒を見てやっているところです。ですからあなたは我々のことは気にせず、遠慮せず、用件を進めてください。」

 

 「どうもありがとうございます。ですが私がここで会話するのは病人に差し障らないですか?」ピョートル・ペトローヴィチがゾーシモフに尋ねた。

 

 「全く。」ゾーシモフがもごもご言った。「気晴らしさせたって構いやしません。」そしてまたあくびをした。

 

 「そう、彼は大分前にすでに意識を取り戻していまして、朝からだったな!」ラズミーヒンが続けた。その馴れ馴れしさはあまりにも自然な無邪気さを備えていたので、ピョートル・ペトローヴィチは少し考えると気分が乗ってきた。もしかするとこのぼろを着た鉄面皮がそれでも一応学生であると自己紹介したことがいくらか関係しているかもしれない。

 

 「あなたの母親は・・・」ルージンが話し始めた。

 

 「ごふ!」ラズミーヒンが大きな音を出した。ルージンはいぶかしそうな目つきで彼の方を見た。

 

 「別に何でもありません。続けてください・・・」

 

 ルージンは肩をすくめた。

 

 「・・・あなたの母親は、まだ私が彼らの元にいるうちに、あなた宛ての手紙を書き始めました。こっちに到着してから私はあえて数日を無為にやり過ごし、あなたの元へは来ませんでした。あなたがすべて知らされてあることに十分な確信を得るためです。ですが今、驚いたことに・・・」

 

 「知ってます、知ってますよ!」ラスコーリニコフが突然放ったその言葉には、我慢しきれないくやしさがにじみ出ていた。「あなたでしたか?フィアンセの?もちろん知ってますよ!・・・知り過ぎてるくらいだ!」