「罪と罰」84(2-6)

 「ぐでんぐでんに酔っ払ってたんです。助けてください。ぐでんぐでんに。」先と同じ女の泣き叫ぶ声が早くもアフロシーニユシカの近くから聞こえていた。「ついこの間も首をくくろうとして、縄から下ろされたんです。今しがた私は店に出かけてて、娘っ子を見ておくようあの子の元に残しておいたんです。――なのにもうこんなことになっちゃって!ここらの出なんです。あなた様。私らんとこの出なんですよ。私らはすぐ近くに住んでまして。端から2番目の建物です。ほらここです・・・」

 

 人々は方々へ去って行く。警察はまだ身投げした女にかかずらっている。誰かが警察のことで怒鳴り声を上げた・・・ラスコーリニコフはこれらすべてのことを冷淡にして無関心という妙な感覚で眺めていた。彼は不快になった。“だめた、忌まわしい・・・水は・・・やめた方がいい――彼は心の中で呟いた――何にもなりゃしない――と彼は付け加えた。――待ってる場合じゃないぞ。そりゃ何かって警察・・・だがどうしてザメートフは警察にいないんだ?警察は10時までやってるのに・・・”彼は欄干に背を向けると辺りを見回した。

 

 “ならしょうがない!そうするってもんか!”決然とした調子で言うと、彼は橋を離れ警察署のある方へ向かって歩き出した。その心は空しく荒涼としていた。彼は考えたくなかった。憂愁すら消え、先のやる気、家を出た時“すべてにけりをつける!”などと言わせていたそれは跡形もなく消えていた。完全なる無関心がその空白を埋めていた。

 

 “しょうがない、これが答えだ!――下水路沿いをゆっくりしょんぼり歩きながら彼は思った。――とにかく終わらせよう。なぜなら俺が望むのは・・・解決になるのか、しかし?でも同じ事さ!1アルシン(約70㎝)の空間はあるんだろ――へっ!だが何という幕切れだ!本当に終わりなんだろうか?俺は彼らに言ってしまうのかそれとも言わないのか?その・・・糞ったれ!確かに俺は疲れている。なるべく早くどっかで横になるか座るかしたいもんだ!何より恥ずかしいのは、非常に間抜けに見えることだ。だがそれとてつまらんことだ。やれやれ、何という馬鹿げたことを思い付くのか・・・”

 

 警察署へ行くにはずっと真っ直ぐ行って、二つ目の曲がり角を左に曲がる必要があった。この時警察署はもう目と鼻の先であった。しかし彼は最初の曲がり角まで来ると、立ち止まって少し考え、横町に曲がって迂回し始めた。通りを二つ超えてしまった。――もしかすると何の目的も無かったかもしれない、あるいはもしかすると、せめてあと少しの時間でも引きのばし、時をかせぐためであったかもしれない。彼は地面を見て歩いていた。と突然まるで誰かが彼の耳元で何か囁いたかのようであった。彼は頭を上げると例の建物の前、まさにあの門の前に立っていた。あの夜以来彼はここに来たことはなく、近くを通り過ぎたこともなかった。

 

 抵抗し難い、説明のつかない欲が彼を引っ張って行った。彼は建物内に入り、門下の通路を通り抜けると、右手にある最初の入り口から馴染みの階段で4階に向かって上り始めた。狭い急な階段で非常に暗かった。彼は踊り場に来るたびに立ち止まり興味深そうに辺りを見回した。1階の踊り場の窓枠がすっかり取り外されていた。“あの時はこんなふうになっていなかった。”と彼は思った。そして2階のニコラーシカとミーチカが仕事をしていた部屋。“鍵がかかっている。ドアが新しく塗られている。つまり貸し出されているんだな。”そして3階・・・そして4階・・・“ここだ!”当惑が彼を襲った。扉は開け放たれていて、そこには人がおり、声が聞こえていたのだ。彼はこんな事態を予想だにしていなかった。少し逡巡した後、彼は最後の数段を上って部屋の中に入った。

 

 そこもまた新たな装いに仕上げられつつあって、中には作業員がいた。この状況は彼を仰天させたらしかった。彼はなぜか、あの時彼が残してきたそっくりそのままの場景を、ひょっとすると床の上の同じ場所に横たわっている死体すら目撃することになると想像していたのだ。なのに今壁紙は剥がされ、家具は一切ない。何か変だ!彼は窓際まで突き進み窓敷居に腰をかけた。

 

 作業員は全部で二人だった。二人の若い男で、一人はやや年配、もう一人はずっと若かった。彼らは使い古され破れた以前の黄色い壁紙の代わりに、藤色の花が描かれた白い新しい壁紙を貼り付けていた。ラスコーリニコフはなぜかそれが途轍もなく気に入らなかった。彼はその新しい壁紙を憎々し気に見た。それはまるで何もかもそんな風に変えてしまったことを残念がっているかのようであった。

 

 作業員らはぐずぐずやっていたのだろう、今になって大急ぎで壁紙を巻き、帰り支度をしていた。ラスコーリニコフの出現は彼らの注意をほとんど引かなかった。彼らは何かしら話していた。ラスコーリニコフは腕を組むと耳をそばだて始めた。     

                                                            

 「そいつときたら、俺んとこに朝早く来るのよ」年配の方が若い方に話しかけている。「朝っぱらからしっかり着飾っててさ。言ってやったんだ。“一体何でそんなすましてるんだ。俺の前でなんでそんなぶりっこしてるんだ”と。そいつが言うには“私は、チト・ワシーリイチ、今後、これからはもう完全にあなたのものになりたいの。”だとさ。いやいやもうびっくりだよ!しかしまあ、あの着飾り方ときたら。ジュルナールだね。完全にジュルナールだよ!」 

 

 「おっちゃん、ジュルナールって何だい?」若い方が尋ねた。彼はどうやら“おっちゃん”に弟子入りしているようだった。

 

 「ジュルナールってのはな、おめえよ、沢山の版画のことよ、色の付いたさ。ここの仕立て屋のとこに毎週土曜日、郵便で外国から来んのよ。そりゃまあどう着こなすべきかっつうのを教えてくれるもんだな。男性も女性と同じようにさ。画集のことよ、要するに。男性はいつもだいたい長袖外套を身につけて描かれていて、女性のコーナーじゃ、おめえ、そりゃもうスフレみたいな女が出てさ、お前があり金全部叩いたってまだ足りないぞ!」