「罪と罰」55(2−2)

だが彼は群島にも行く運命にはなっていなかった。別の事態が生じたのだ。B通りから広場に出ると、彼は突然左手の方に、中庭に通じる開口部のない壁ですっかり囲われた入り口があることに気付いた。右側からは、門に入るとすぐ、奥の中庭へと、開口部のない、白塗りされていない隣家の4階建て建物の壁が伸びていた。左側からは開口部のない壁と平行にやはり門のすぐ近くから木の塀が伸びており、中庭の奥20歩くらいのところまで続くと、その先はもう左に折れ曲がっていた。そこは開口部のない仕切られた場所で、何かしらの材料が置かれていた。さらに中庭の窪地には、背の低い煤けた石造りの納屋の角が塀越しに見えており、明らかに何かしらの工房の一部であった。そこには何らかの施設、箱馬車だとか金属加工の、もしくはそうした類の何かしらがあるに違いなかった。そこかしこに、ほぼちょうど門のところから黒ずんで見えていたのは、大量の炭塵であった。“まさにここにそっと捨てて立ち去ってしまえば!”――突然彼の頭に思い浮かんだ。中庭には誰も認められなかったので、彼はゆっくりと門の中に入った。ちょうどその時門の直ぐ近くのところで、塀に備え付けられた溝(ちょうどこうした工場労働者、協同作業従事者、御者など多くの者がいる建物にしばしば備えられているような)の存在に気付いた。そして溝の上方、目の前の塀に白墨で書かれていたのはこんな場合によく見受けられるしゃれであった。“ここで 止まるの 荷車 禁止”ということは一層結構なことではないか。ここに立ち寄って立ち止まることを怪しむ者が誰もいないとなれば。“こうなったらみんなこのまま一時にどこかその辺にどかっと捨てて立ち去ってしまえ!”

 再び辺りを見回し、片手すらもうポケットに突っ込んだ時、突然ちょうど外側の壁のところ、門と溝の間、全長1アルシン(約71㎝)の幅のところに、大きなごつごつした石があることに彼は気付いた。それはおそらく1.5プード(24㎏)くらいで、通りの石の壁にぴったり接していた。この壁の向こうが通り、歩道になっていて、通行人がせかせか歩いているのが聞こえた。ここらで通行人の数が少なくなるということはなかった。だが門の外側から彼の存在に気付くことは不可能であった。ただし誰かが通りから入ってくる可能性はあって、むしろそれは大いにあり得ることで、それゆえ急ぐ必要があった。

 彼は石の方へ身を屈めると、その上の方をしっかりと両手で掴み、全力で石をひっくり返した。石の下には小さな窪みができていた。すぐさま彼はそこへポケットの中のものすべてを投げ込み出した。財布が一番上に来た。それでも窪みにはまだ余裕があった。それから彼は再び石を掴むと元の側に戻そうと一回転させた。するとそれはちょうど元の位置に収まった。ただ少し、ほんの少し高くなったように思われるだけであった。それでも彼は土をかき集めると端を片足で押さえ付けた。目立つようなところは一切なかった。

 その後彼は外に出ると広場の方に向かった。再び強い、かろうじて抑えられる喜びが、さきほどの役所でのように、一瞬の間彼を支配した。“証拠は消えた!一体誰がこんな石の下を探すことを思いつくだろう?それはそこにもしかしたら建物を建てた時からあって、さらに同じだけ横たわっているさ。仮に発見されたとしても、誰が俺のことを疑うというのだ?すべて片付いた!証拠はない!”――すると彼は笑い出した。そう、彼の後の記憶によれば、その笑いは神経質で、小刻みな、音のない長く続く笑いで、それこそずっと、彼が広場を通り過ぎている間ずっと続いていたのだった。だが彼がK通りに差し掛かると、そこは一昨日例の娘と出くわしたところなのだが、その笑いは突然止んだ。別の考えが彼の頭に忍び込んできた。突如またこうも思われたのだ。今となって例のベンチ、娘が立ち去った直後に彼が座って考えを巡らせていたあのベンチの脇を通り過ぎるのはえらく胸糞悪い、あの口ひげの男、彼があの時20コペイカを渡した男にまた出くわすのもえらく気が滅入る、と。“畜生!”

 彼はうつろで敵意ある視線を周囲に向けながら歩いていた。彼の全思考は今一つのある重要な点を中心にして回っており、――彼は自覚していた。それは実際非常に重要な点で確かに存在しており、今、まさに今彼はこの重要な一点と向き合っている、ということを。――それはこの二か月の間にあって初めてのことでさえあった。

“何もかも畜生だ!――尽きることない敵意の激発に見舞われた彼は突然思った。――始まったことは、始まったことだ。あれなんて知ったことか、新しい生活なんてどうとでもなれ!ああ、全くなんて愚かなんだ!・・それにしても俺は今日どれほど嘘をつき、どれほど卑劣なまねをしたろう!よくもまあ嫌らしくもへつらって、最低のイリヤ・ペトローヴィチの気を引くようなまねがさっきはできたものだ!まあもっとも戯言ではあったが!俺にとってはあいつらのことだとか、何もかも、それに俺がへつらい気を引いたことだってどうでもいい!全然そういうことじゃない!全然そういうことじゃないんだ!・・”

 突然彼は立ち止まった。新しい全く予期していなかった極単純な疑問が、たちまち彼を惑乱させると、苦い驚きで包み込んだ。

“もし実際この事が全て意識的になされたのであれば、考えなしにではなくてだ。もし実際お前に一定の確かな目的が存在していたのなら、一体どういう訳でお前は今に至るまで財布の中を覗き見ることすらせず、何を手に入れたのか知らないでいるのだ。それがためにあらゆる苦しみを被り、あんな卑劣で忌まわしい下劣な事をなそうと自覚的に足を運んだんじゃないのか?だってお前は水の中へそれをついさっき投げ込もうとしていたじゃないか。財布をだ。他のすべての物と一緒にして。それだってまだお前は見ていない・・・。これは一体どういうことだ?”