「罪と罰」33(1−5)

 「おお、てめえなんか蚊に喰われちまえ!道を開けろ!」狂ったように叫んでいるミコールカは轅を放り投げると、再び馬車の中にかがみ込み鉄棒を引っ張り出す。「気をつけろ!」と大声を上げる彼はありったけの力で自分の不幸なめす馬っこに振り下ろす。下された一撃。めす馬っこはよろよろし始めると崩れるように倒れた。引っ張ろうとしかけたが、再び満身の力の込められた鉄棒がその背中にずしんと落ちる。馬っこは地面に倒れる。あたかも4本の足が一時に切り離されたような具合だ。

 「とどめをさせ!」と叫ぶミコールカはまるで我を忘れたかのように馬車から飛び出す。数人の若者、やはり赤い面をして酔っぱらっている、は手当たり次第の物――鞭、棒、轅をひっつかみ、くたばりかけているめす馬っこの方に駆けていく。ミコールカは脇に立ち、鉄棒でいたずらに背中を打ち始める。やせ馬は鼻面を伸ばして重い呼吸をし死にかけている。

 「殺しちまったぞ!」群衆の中で叫び声があがる。

 「なしてギャロップで行かなかったんだ!」

 「俺の物だ!」と叫ぶミコールカの手には鉄棒が握られ目は充血している。彼はもうこれ以上叩く相手がいないことを惜しむかのようにして立っている。

 「ああ本当にお前には良心ってものがないらしいな!」そう群衆の中から叫んでいるのは最早多数の声だ。

 しかし不幸な少年はすでに我を忘れている。叫び声を上げながら群衆をかき分け鹿毛馬の元に行き、その亡骸となった血まみれの顔を抱きしめキスをする、その目に、口に・・・。その後突然飛び起きると、小さなげんこつを握りしめ無我夢中でミコールカに飛びかかる。その瞬間父親が、もう長いこと彼を追い回していたその人が、ようやく彼を引っ捕まえて群衆の中から連れ出す。

 「行こう!行こう!」父親は彼に言う。「帰ろう!」

 「パパ!どうしてあの人たちは・・・可哀想なお馬さんを・・・殺したの!」すすり泣く彼、その息は止まりそうだ。だが言葉は叫びとなってその苦しい胸の内から絞り出される。

 「酔っ払いがさ、悪ふざけしてるのさ、関係ない、行こう!」と言う父親。彼は父親に両手で抱き付く。だがその胸は締め付けられる、締め付けられる。彼は大きく息を吸い込んでわっと叫びたい、すると目が覚める。

 彼は全身汗びっしょりで目覚めた。髪は汗で濡れ、呼吸は荒い。恐怖に囚われた状態で上体を少し起こした。

≪ああ良かった、夢だったか!≫と彼が声を発したのは木の下に腰を下ろし深呼吸をしながらであった。≪しかしこれはどういうことだ?熱病にかかり始めてるんじゃないか。随分ひどい夢だったからな!≫

 彼はあたかも全身打ちのめされたといった様子で、その心は不安で暗かった。彼は両肘を膝の上に置き両手で頭を支えた。

 ≪ああ――彼は叫んだ――まさか、まさか俺が本当に斧を手に取り、頭を打とうとして、その頭蓋骨を粉砕し・・・ねばねばする温かい血の中をするするっと進み、錠前をこじ開け、盗み、震える。隠れている俺は全身血まみれ・・・手には斧・・・おいおい、有り得ないだろ?≫

 彼は木の葉のように震えていた。そうは言いながらも。

 ≪なんということを俺は!――考え続ける彼は再び頭をもたげたのだが、あたかもそれは強烈な驚きに囚われているといった様子であった。――だって知っていたはずじゃないか、俺はこんなことには耐えられないって、なら一体どうして俺は今まで自分を苦しめていたんだ?すでに昨日、昨日だ、俺がしに行ったのは、あの・・・リハーサルを、間違いなく昨日完全に理解したはずじゃないか、耐えられないって・・・。一体どうして今さら?一体どうして俺はこの今に至るまで疑っていたのだ?間違いなく昨日、階段を下りながら自分自身で言ったはずだ、こんなことは卑劣で、忌まわしくて、最低だ、最低だって・・・俺はある思想のせいで本当に病んじまったんだ、そして恐怖の中に放り込まれちまったんだ・・・。

 だめだ、耐えられない、耐えられやしない!例え、例えこの計画のすべてにおいて何の問題も生じていないとしても、仮にこれらすべて、この一月で決定されたお天道様のように明白なそれが算数のように明らかに正しかったとしても。神よ!何にせよ俺は踏み切れない!だって俺は耐えられない、耐えられないのだから!・・一体どうして、一体どうして今でも・・・≫

 彼は立ち上がると、驚嘆の目で辺りを見回した。それはまるでここに立ち寄ったことさえ驚きであるかのようであった。それからT橋の方へ歩き出した。その顔は青ざめ目はらんらんとし、体のふしぶしまで疲労感が行き渡っていたが、突然その呼吸は楽になったかのようになった。非常に長いこと彼を圧迫していたあの恐るべき重荷を最早下ろしたと彼は感じたので、その心は突然軽く穏やかになったのだ。≪神よ!――彼は祈った――我に道を示せ、俺は捨てる、この忌まわしい・・・夢想を!≫

 橋を渡りながら、彼はゆっくりと穏やかな心持ちでネヴァ川を、眩い赤い太陽のこうこうとした日没を見た。衰弱していたにも関わらず彼は自分の内に疲れを感じることさえなかった。それはあたかも丸一月かけて化膿した心の腫物が突然破れたかのようであった。自由、自由なのだ!彼は今やこの魔力、魔法、魅惑、悪魔の誘惑から自由なのだ!