棚田康司 「たちのぼる。」展 2012年9月16日〜11月25日 練馬区立美術館

 
「作家の処女作にはその後の作品の萌芽がすべてが含まれる」という考え方があり、僕自身もそういうもんだろうと思っていた。自分の経験からして人間が劇的に変わることなど有り得ないと思っているし、作家を作家たらしめた何らかの問題意識がその作家を離れるはずがないと考えているからだ。

しかし今回の展覧会はその考え方に多少なりとも疑問を抱かせる結果をもたらした。処女作《One of them》(1994)から受ける印象と、その後の少年少女をモチーフとした諸々の作品から受ける印象の質的な隔たりはあまりにも大きいように思われた。前者から受ける凶暴な印象が後者からは全く感じられないのである。仮に両方の作品を並べてみてそれらが同じ作者の手によるものだと言われたら、多くの人が疑問を抱くのではないか。

もちろんだからといって冒頭の考え方が否定されるわけではない。処女作の与える印象とその後の作品の与える印象が異なったとしても、両者の間になんらかのつながりを見出すことは可能だろう。棚田は言う、自分を深く掘り下げてゆくことが他人や社会や文化という自分を取り巻くものにつながる道だ、と。そして初期の作品では顔を石膏で型取りして作った面を使うことによって“誰でもない自分”を造形することを試みる。これが自分を掘り下げるための手段であったことに疑いはない。そしてこの自分というモチーフの変奏が少年少女の作品群なのだと考えることは十分できそうである。

しかし、である。「作家の処女作にはその後の作品の萌芽がすべてが含まれる」という意見について考えさせられた展覧会であった。