「罪と罰」78(2-6)

 彼は以前にもしばしばこの曲がり角を含む、広場からサドーバヤ通りに通じている短い横町を使っていた。最近彼はこうしたあらゆる場所をふらつきたい誘惑に駆られていたほどであった。やり切れない状況になっていく中、“一層やり切れなくなるために”。今彼は何を考えるでもなくそこに立ち入った。そこには大きな建物があって、居酒屋の他食料や酒を扱う店がすべてを占めていた。その中からひっきりなしに、まるで“近隣”を歩く時のように、帽子もかぶらずワンピースだけという出で立ちの女が走り出ていくのであった。彼らは歩道上の二三カ所に分かれて屯っていた。主には地階への降り口付近で、そこへは二つの踊り場を経由して降りて行くことができるのだが、様々な気晴らしのための店があるのであった。その中の一軒からはこの時、物を叩く音やどんちゃん騒ぎの音が通り中に響いていた。ギターが鳴り、歌を歌っていて大変楽し気であった。女性の大集団が入り口付近に屯していた。階段に腰を下ろしているものもいれば、歩道に座っているものもおり、立ってしゃべっているものもあった。

 

 脇のペーブメントでは、巻煙草をくわえた酔っ払った兵士が大声で悪態をつきながらふらふら歩いていた。どこかに入りたいのだがどこに入るべきか忘れてしまったような具合であった。ぼろぼろの服を着た男は別のぼろ服の男と罵り合いを演じており、さる泥酔した男は通りを横断して寝転んでいた。ラスコーリニコフは女性の集団のところで立ち止まった。彼女たちはしゃがれ声でしゃべり、全員が更紗のワンピースにやぎ革の靴、無帽という出で立ちであった。人によっては40を超えている者もいたが、あとは17歳くらいまでで、ほぼ全員目の周りに殴られた痕があった。

  

 なぜだかむこう、下から聞こえて来る歌声、それにあの叩く音や騒ぎ声が一塊となって彼の心を引きつけていた。そこからは、大きな笑い声と金切声の間に、雄々しい旋律を歌う甲高い裏声とギターに合わせ、誰かが踵で拍子を取りながら踊りに踊っているのが聞こえていた。彼は暗澹とした心持ちで物思いに耽りながら耳を傾けていた。入り口のところで身を乗り出し、歩道の物陰から好奇心に満ちた目で覗き込みながら。

 

 見目麗しき交番勤務のきみ

 やたら私を打たないで!

 

 歌い手の甲高い声が流れ出てくる。ラスコーリニコフは歌をちゃんと聞きたくてたまらなくなった。まるでそこに肝心なことの全てが存在しているかのように。

 

 “行かないのか?――彼は考えた。――馬鹿笑いしてる!酔っ払ってら。まあいい。しこたま飲んで酔っ払わないのか?”

 

 「寄らないんですか、旦那さん?」女の一人が十分よく通るまだあまりしゃがれていない声で尋ねた。彼女は若く、嫌な感じは全くなかった。この集団の唯一の例外だ。

 

 「おや、美人さんじゃないか!」体を起こして彼女の方を見ると、彼は答えた。

 

 彼女は笑顔になった。お世辞がひどく気に入ったのだ。

 

 「あなただってとっても二枚目よ。」と彼女が言った。

 

 「またひどい痩せ方だね!」別の女が低い声で言った。「退院したばかりなんじゃないの?」

 

 「将軍の娘さんたちって感じやろ、まっ鼻はみんなつぶれているけどな!」突然近寄って来た男が話に割り込んできた。一杯機嫌で、ボタンを掛けずに百姓外套を羽織り、ずるそうな笑みを浮かべている。「全くなんちゅう慰みや!」

 

 「寄って来なよ、来たんだったらさ!」

 

 「行きますよ。たまんねぇな!」

 

 そして彼は急降下して行った。

 

 ラスコーリニコフは先へと移動した。

 

 「あのう、旦那さん!」背後から娘が叫んだ。

 

 「何だい?」

 

 彼女はどぎまぎし始めた。

 

 「私は、ねえ旦那さん、いつもならあなたと喜んで時間を共にするんだけど、今はそのどうしてかあなたの前だと良心が休まらないの。素敵なナイトさん、酒代の6コペイカ私にください!」

 

 ラスコーリニコフは手の中に入った分だけ抜き出した。5コペイカ3枚だった。

 

 「ああ、なんて優しいんでしょう!」

 

 「名前は何というんだい?」

 

 「ドゥークリダに尋ねてください。」

 

 「前代未聞だわ、こりゃ一体何よ」突然集団の中の一人が、ドゥークリダに向かって頭を振りながら言った。「そんな風に頼むやり方なんて知りもしなかったわ!私ならただもう良心だけのために失敗する気がするわ・・・」

 

 ラスコーリニコフは好奇心に満ちた目で話し手の方を見た。それはあばた面の百姓娘で、年は30くらい、全身あざだらけで上唇が腫れていた。彼女の物言いと非難は平静かつ本気であった。

 

“ どこかで――先に歩きながらラスコーリニコフは考えた。――どこかで読んだことある。ある死刑判決を受けた者が、死の1時間前にしゃべったか考えたとか。仮にどこか高い所、絶壁の上、しかも非常に狭い場所、二足分しか置けないような場所で生きなければならない、周りは深淵、大洋、永遠の闇、永遠の孤独、永遠の嵐。1アルシン(約70㎝)の場所に立ったまま、一生、千年、永遠にいなければならないとしたら――そんな風に生きた方が、今死ぬよりもましだ!、と。

 

 とにかく生きて、生きてさえいれば!どんな風に生きようとも、生きてさえいれば!・・何という真実だろう!神よ、何という真実ですか!卑劣なる人間!彼をそれがゆえに卑劣と呼ぶものもまた卑劣だ。”1分後彼はそう付け足した。

 

 彼は別の通りに出た。“おや!“クリスタル宮殿!”さっきラズミーヒンが言ってた“水晶宮殿”だ。にしても俺は何がしたかったんだっけ?そうだ、読もうとしてたんだ!・・ゾーシモフが言ってたな、新聞で読んだとか・・・”

 

 「新聞ありますか?」彼はだだっ広くて、小ざっぱりさえした、数部屋からなる飲食店兼業宿泊施設(もっともがらがらだったのだが)に足を踏み入れると尋ねた。2、3人の客が紅茶を飲んでおり、ある奥の部屋には4人くらいからなるグループが座を占め、シャンパンを飲んでいた。ラスコーリニコフには、彼らの中にザメートフがいるように思われた。もっとも遠くからでよく見分けられなかったのであるが。

 

 “だとしてもかまうもんか!”と彼は思った。

 

 「ウォッカになさいますか?」ウェイターが尋ねた。

 

 「お茶をくれ。それから新聞を、古いやつ、大体今日から5日分くらい持って来てくれ。そしたら君にウォッカ分やろう。」

「罪と罰」77(2-6)

  だが彼女が出ていくと、すぐ彼は起き上がってドアに鉤を掛けた。そして先ほどラズミーヒンが持って来て、自分でまた閉じた服の入った包みを解くと着替え始めた。妙なのは彼が突然すっかり落ち着きを取り戻したように見えたことである。先のような狂人の戯言もなければ、ここのところ常にあったひどく怯えた様子も見られなかった。それはある奇妙にして予想だにしない平安が初めて訪れた瞬間であった。彼の動作は正確かつ明確で、そこにはしっかりとした意図が表れていた。“今日でなければ、今日でなければ!”彼はぼそぼそと独り言ちた。彼はまだ自分が弱っていることを理解していたが、極めて強い精神的緊張が、心の平静、動じない観念を彼にもたらし、活力と自信を与えていた。とはいえ道で倒れないことを期待していたのではあるが。すっかり新たな装いに身を包むと、彼はテーブルの上に置いてあった金に目を遣り、少し考えてからそれをポケットに入れた。金は25ルーブルだった。5コペイカもすべて持った。ラズミーヒンが服に使った10ルーブルのお釣りである。その後そっと鉤を外し部屋の外に出ると、階段を下って、外に向かって開け放たれている台所を覗き込んだ。ナスターシャは彼に背を向けて立ち、身を屈め主人のサモワールを燃え立たせるため吹き込んでいる。彼女の耳には何ていなかった。彼が出て行くことを一体誰が予想できただろう。1分後彼はもう通りに出ていた。

 

 8時頃であろう。日は落ちてきていた。蒸し暑さは以前のままであった。だが彼はむさぼるように臭くて埃っぽい街にかぶれた空気を吸い込んだ。軽く目まいを起こしそうになった。ある野蛮な活力がその病んで少し腫れた目に、痩せこけて黄緑色した顔面に突然輝き出した。彼はどこに行くべきか知らなかったし、そのことについて考えもしなかった。彼が分かっていたのは一つのことだけ。つまりこんなことは全て今日中に終わらせなければならない。一度で。いますぐ。そうでなければ彼は家に帰れない。なぜならそんな風にして生きたくないから。どう始末をつける?何によって片を付ける?このことについて彼はさっぱり分かっていなかったし、考えたくもなかった。彼は考えを追い払おうとした。自らを責めさいなむ考えを。彼はただ感じて、知っていた。すべて変わることが必要だということを。いずれにせよ、“どうあっても”と彼は繰り返していた。恐れを知らぬ動じぬ自信と決意を胸に。

 

 古い習慣に従い、以前散歩でよく使ったルートで、彼は真っ直ぐセンナヤ広場を目指した。センナヤ広場に着く前、石を敷きつめた道路の雑貨屋の前で、若い黒髪のオルガン奏者が立って何か非常に感傷的なロマンスをくねくねやっていた。彼は自分の前の歩道に立っている少女の伴奏をしているのだ。その娘は15歳くらいでまるで令嬢のような服装をしていた。張り広げたスカート、短外套、手袋それに炎色の羽飾りの付いた麦わら帽子を被っていた。それらはみな古くて陳腐であった。路上の安定を欠く声であったが、十分に気持ちの良い力強い声で彼女はロマンスを一生懸命歌っていた。雑貨屋から2コペイカもらえることを期待してのことであった。ラスコーリニコフは2、3人いた聞き手の横に留まり、しばらく耳を傾けると、5コペイカを取り出し少女の手に置いた。その娘は突然、最も感傷的な高い音程の所で歌を打ち切ると、まさしくちょん切ると、急にオルガン奏者に向かって“オッケー”と叫んだ。そして二人はのろのろと先へ、次の店へと歩いて行った。

 

 「路上で聞く歌はお好きですか?」突然ラスコーリニコフが一人のもう若くはない通行人に向かって声をかけた。オルガンのところで彼と並んで立っていた、暇人然とした男だ。その男はぎょっとして視線を向けると驚愕した。「僕は好きですね。」ラスコーリニコフは続けた。だがその様子はまるで路上の歌とは全く関係ないことについて話しているようであった。「僕は好きなんですよ。寒くて暗いじめじめした秋の晩にアコーディオンの伴奏で歌っているのが。絶対にじめじめしてなきゃ駄目です。その時の通行人の顔ときたらみんな青白い緑色で病的だ。なんならもっといいのが、湿った雪が降っている時、すとんと一直線に、風なしで、分かります?それを通してガス灯の明かりがきらめいている・・・」

 

 「分かりかねますね・・・失礼・・・」と男はつぶやいた。質問にも、ラスコーリニコフの妙な様子にも驚かされた男は通りの反対側に渡ってしまった。

 

 ラスコーリニコフはまっすぐ歩き出した。そしてセンナヤ広場の例の一角に出た。そこはあの時リザヴェータと話をしていた町人とかみさんが商売をしていたところだ。だが彼らはもういなかった。例の場所だと認識すると、彼は立ち止まって辺りを見回した。そして穀粉倉庫の入り口のところでぽかんと眺めていた赤いシャツを着た若者に声を掛けた。

 

 「たしか町人がこの一角で、農婦と、その奥さんと商売をしているはずなんだが、おい?」

 

 「誰もが商売してるさ。」横柄な態度でラスコーリニコフを値踏みしつつ若者が答えた。

 

 「彼の名前は何と言うんだね?」

 

 「洗礼を受けた時のように呼ばれてるさ。」

 

 「お前もザライスク出身じゃないよな?どこの県だ?」

 

 若者は再びラスコーリニコフの方を見た。

 

 「私たちのとこは、殿下、県じゃなくて郡です。出回っていたのは兄弟でして、私は家におりました。なので知らないんでございます・・・。どうか一つ大目に見てください、殿下。」

 

 「ここは飲み屋か、上の階なんだが?」

 

 「ここは旅籠屋で、ビリヤードもあるんですよ。侯爵夫人だって来るんですから・・・最高ですよ!」

 

 ラスコーリニコフは広場を横断した。向こうの角に人が群がっていた。全員百姓であった。彼は人々の顔をちらちら見つつ、最も混み合っている所に潜り込んだ。なぜだか彼は彼ら全員と話をしたい誘惑にかられた。だが百姓達は彼には目もくれず、みながみな小さな塊になって何やらそれぞれがやがや騒いでいた。彼は少しの間立ち止まって考えると右の方へ、B通りの方に向かって歩道を歩き出した。彼は広場を過ぎて横町に出た・・・。

「罪と罰」76(2-5)

 「何事にも限度というものがあります。」見下すような調子でルージンは続けた。「経済思想はまだ殺人を認めるような方向にはなっていません。それにちょっと推測してみれば・・・」

 

 「ところで本当なんですか」突然またラスコーリニコフが敵意のため震える声で話しに割り込んできた。その声からは侮辱の喜びのようなものが感じられた。「本当なんですか、あなたがフィアンセに言ったというのは?・・あの時ですよ、彼女から結婚の同意を得た時です。何より結構なことは・・・彼女が貧しいことだ・・・なぜなら極貧の家庭出の妻をもらうことはより都合がいい。後に彼女を支配し・・・恩を施されたことを利用して非難するのに、と。・・・」

 

 「閣下!」敵意に満ちた、いらついた声でルージンが叫んだ。顏中真っ赤で狼狽えていた。「閣下・・・誤解にもほどがありますぞ!許していただきたいのですが、あなたに言っておかなければなりません。噂、あなたの耳に届いた、いやこう言った方がより適切なのか、あなたの耳に届けられたそれにはまともな根拠は微塵もありません。私には・・・誰なのか見当はついています・・・端的に言って・・・この矢は・・・端的に言ってあなたのお母さまが・・・。もともと私には、彼女には、いや素晴らしい性質ばかりなんですがね、その思考においていくらか熱狂的で空想的な傾向があるように思えておりました・・・。ですがそれでも私が想像していたのとはかけ離れていました。彼女が空想で歪めて真実をあのように理解し、思い描くことができたなんて・・・そしてとうとう・・・仕舞に・・・。」

 

 「ところでご存知ですか?」ラスコーリニコフは、枕の上で上体を起こしつつ、刺すようなぎらつく視線を彼に浴びせながら大声で言った。「ご存知ですか?」

 

 「何のことですかな?」ルージンはぴたっと止まって待ち構えた。感情を害され挑むような様子であった。沈黙が数秒間続いた。

 

 「それはですね、もしあなたがもう一度・・・一言でも言及するようなことがあれば・・・母について・・・僕はあなたを階段から真っ逆さまに突き落とします!」

 

 「どうしたんだ!」ラズミーヒンが叫んだ。

 

 「ああ、これはこれは!」ルージンは顔面を蒼白にさせ唇を噛んだ。「閣下、私の言うことを聞いてください。」ゆっくり間をとってから彼は始めた。必死に自分を抑えていたがそれでも喘いでいた。「私はすでに先ほど、出だしからにしてですが、あなたの敵意に気付いておりました。ですが敢えてここに留まっておりました。より多くのことを知るために。私は病人である親族を寛大な目で見ることもできたのですが、今は・・・あなたを・・・決して許すことはできません・・・」

 

 「俺は病人じゃない!」ラスコーリニコフが声を荒げた。

 

 「それならなおのことですな・・・」

 

 「とっとと失せろ!」

 

 だがルージンはその発言を仕舞まで聞き終わらないうちに、再び机と椅子の間をぬって出口へとすでに向かっていた。ラズミーヒンは彼を通すため今回は立ち上がった。ルージンは誰の方も見ず、ゾーシモフに、長い事ルージンに病人をそっとしておくよう合図を送っていた彼に会釈することさえせず出て行った。少し身を屈めてドアを通過する際、用心深く帽子を肩のあたりにまで持ち上げていた。この時の彼の背中の屈曲にすら、彼がひどい侮辱を受け去っていくことがにじみ出ているようであった。

 

 「いいのか、こんなんでいいのか?」途方にくれたラズミーヒンが頭を振りながら言った。

 

 「ほっといてくれよ。俺の事は何もかもほっといてくれよ!」興奮状態にあるラスコーリニコフが叫んだ。「頼むからもう俺をそっとしておいてくれ、苦しめてるんだよあんたたちは!俺はあんたらのことなんて知ったこっちゃない!俺は誰のことも、今や誰のことも気にかけちゃいない!俺の前から失せろ!俺は一人になりたいんだ。一人に。一人にだ!」

 

 「行こう!」ゾーシモフがラズミーヒンに頭で合図して言った。

 

 「何だと、こんな状態で残してっていいって言うのか。」

 

 「行こう!」頑強に繰り返すとゾーシモフは出て行った。ラズミーヒンは少し考えると彼を追って走り出した。

 

 「もっと悪くなったかもしれないからな。俺たちが言うことを聞かないと。」ゾーシモフがそう言った時はすでに階段上にいた。「刺激するのは容認できん・・・」

 

 「彼はどうしちまったんだろう?」

 

 「何か都合のいい刺激でもあるといいんだが、ああきっとそれさ!さっきまでは全く問題なかったんだが・・・なあ、彼の心の中には何かあるぞ!じっと彼にのしかかっている何かが・・・俺はそう睨んでる。間違いない!」

 

 「そりゃさっきの紳士、ザ・ピョートル・ペトローヴィチかもしれんぞ!会話からすると彼はロージャの妹と結婚することになっていて、ロージャはそのことについての手紙を病気になる前に受け取っていたみたいだが・・・」

 

 「いやまったく、この今来やがるんだからな。もしかするとすべて駄目になっちまったかもしれん。ところでお前気づいたか。彼は何事にも無関心で沈黙を守っていた。ただ一点を除いては。そのせいで我を失っていたな。殺害の事さ・・・」

 

 「そう、そうだ!」ラズミーヒンが後を引き取った。「もちろん気付いたさ!関心ありありで、驚きの表情を浮かべてた。まさに病んでたその日に彼は心底驚かされて、区の警察署で気絶しちまったんだ。」

 

 「晩にそのことをもっと詳しく聞かせてくれ、その後お前に何かしら言おう。彼のことは興味がある。非常にだ。30分後様子を見に寄るとするか・・・まあ悪くなっていくこともないだろうが・・・」

 

 「ありがとな。俺はその間パーシェンカのとこで待つことにして、ナスターシャから様子を聞くことにするか・・・」

 

 一人残ったラスコーリニコフは、待ちきれない思いと憂鬱を胸にしばらくナスターシャを見ていた。だが彼女はなかなか立ち去ろうとしなかった。

 

 「お茶は、今いる?」彼女が尋ねた。

 

 「後で!俺は眠りたいんだ!そっとしといてくれ・・・」

 

 彼が発作的に壁の方に身をよじると、ナスターシャは部屋を後にした。

「罪と罰」75(2-5)

 「すみません、僕も明敏じゃありませんので」ラズミーヒンが急に口を挟んだ。「ですから止めましょう。僕は目的があって話し始めたんです。ところが実際は自己満足の駄弁につぐ駄弁、静まることも途切れることもない分かり切ったことの数々、全く同じ事の繰り返し。この3年間で僕を飽き飽きさせたやつです。だから他人でも、自分が話しているんじゃなくてですよ、僕のいる前で話をされると本当に赤面するんです。あなたは無論自分の知識において自己アピールを性急にしたわけですが、それは十分許されることで、僕も責めるつもりはありません。僕としては今あなたが何者なのか知りたかっただけです。というのも最近は公の事にしつこく口を出す様々な実業家が五万とおりまして、しかも彼らときたら関わった事なら何でも自分の都合のいい方にひどく歪めてしまって、何もかも台無しにしてしまうものですから。てことで旦那さん、もう結構でございます!」

 

 「閣下」ルージン氏は並外れた威厳を伴いつつ口元を歪め、話を始めようとした。「これほどぶしつけにおっしゃりたいのですか、私も・・・」

 

 「おお、御免なさい、御免なさい・・・僕はなんてことを!・・てことで旦那さん、もう結構です!」ラズミーヒンは話しを打ち切ると、先ほどの話を続けるため急にゾーシモフの方を向いた。

 

 ピョートル・ペトローヴィチはすぐその言い訳を飲み込めるほどの賢さは備えていた。とはいえ彼はすぐこの場を去ることに決めた。

 

 「今回始められた我々の縁が」彼はラスコーリニコフの方を向いた。「あなたが全快した後、あなたがよくご存知の事情ゆえに一層強固になることを期待しております・・・健康が最優先ですがね・・・」

 

 ラスコーリニコフは顔を向けることさえしなかった。ピョートル・ペトローヴィチは椅子から腰を浮かせようとした。

 

 「殺したのは間違いなく借りてた奴だ!」確信を持ってゾーシモフが言った。

 

 「間違いなく借りてた奴さ!」ラズミーヒンが同意した。「ポルフィーリーは自分の考えを洩らしちゃいないけど、借りてた連中の取り調べはやはりやってるしな・・・」

 

 「借りてた連中の取り調べを?」大声でラスコーリニコフが尋ねた。

 

 「そうだ。それがどうかしたか?」

 

 「何でもない。」

 

 「どうやって引っ張ってきてるんだ?」ゾーシモフが尋ねた。

 

 「コーフが教えた奴もいるし、名前が物の包みに書かれていたのもいるし、人づてに聞いて自分から来た連中もいる・・・」

 

 「ふむ手練れにして経験豊富な野郎に違いない!なんという勇敢さ!なんという決断力!」

 

 「まさにそれだよ、それらがないのさ!」ラズミーヒンが話を遮った。「まさにこのことがお前らみんなを迷わせちまっているんだ。言っておくけどな、手練れなんかじゃない、経験のある奴でもない、こいつは恐らく初犯だ!手練れた奴を想定すると信じがたいことになる。だが逆に経験のない奴を想定してみれば、たった一回の偶然が奴を破滅から救い出したことになる。しかし偶然はどっちにも転びうるのでは?とんでもない、奴は障害が発生することなんて恐らく考えてもみていなかったのさ!で事はどう進んだか?10か20そこらの物を取って、それをポケットに突っ込み、ばあさんの長持ちを、衣類をあさった。だがタンスの上の引き出しの手箱の中で1500ルーブルの現金がそっくり見つかったんだ。証券の他にもだぞ!だから強盗なんてまねができる奴じゃないのさ。殺すことで精いっぱいだったのさ。初犯なんだよ。言っておくぞ。初犯なんだって。周りが見えなくなっちまってるのさ!だから計算なんかじゃなくて、偶然で助かったにすぎないんだよ!」

 

 「それは官吏の妻のお婆さんがつい先日殺害された件ですかな」ゾーシモフの方を向きつつピョートル・ペトローヴィチが話に割って入ってきた。彼はすでに手に帽子と手袋を持って立っていたのだが、立ち去る前にもう少し気の利いた言葉を残したいと思っていた。どうやら彼は有利な印象を得ようとしていたのだった。虚栄が分別に勝ったのだ。

 

 「ええ。あなたは聞いていますか?」

 

 「もちろんですよ。閣下。この近くだとか・・・」

 

 「詳細を知っていますか?」

 

 「それは言えませんが、この件で私の興味を引いているのは別の事柄です。言ってみれば問題の全体像です。私がわざわざ言うまでもないのでしょうが、下層の犯罪はここ5年ばかりで増加しています。至る所で始終起きているひったくりや火事について言うことはありません。私にとって何より不思議でならないのは、上層においても犯罪件数が同様に増加していて、しかも言うなればパラレルな関係において、ということです。ある所では元学生が大通りの郵便局を襲撃したとか、また別の所ではその社会的地位からしたら進歩的である人々が偽札を作っているとか、さらにまた別の所、モスクワでは、最後の宝くじ付き公債証券の偽造集団が逮捕され、その主要メンバーの一人は世界史の講師だとか。また外国では我が国の秘書官が金銭がらみの謎めいた原因で殺害されています・・・。そこでもし今回あの高利貸しの老婆が質入れした連中の一人に殺されたとすると、それは比較的高い層の人間の犯行ということになります。なぜなら百姓は金製の物を質入れしたりしないからです。それなら我らの社会の文明化された部分によるこの不品行とでも言うべきことをいったい何によって説明したらいいんでしょう?」

 

 「多くの経済的な変化・・・」ゾーシモフが反応した。

 

 「何によって説明したらいいかだって?」ラズミーヒンが突っかかった。「そりゃもうあまりに根深い事を為す力の無さによって説明がつくんじゃないですかね。」

 

 「つまりそれはどのようにしてですかな、閣下」

 

 「あなたの話に出てきたモスクワの例の講師がですよ、何のために偽造なんかしたのかという質問に答えたとしたら、“みな様々な仕方で金を得ている、それなら俺は少しでも早くそうしたいと思ったから。”と言うでしょう。正確な文言は覚えていませんが、要するに、ただで、なるべく早く、楽してってことでしょ!衣食住の足りた生活に慣れ、他人の言いなりになることに慣れ、噛み砕かれた物を食べるのに慣れてしまったんです。さて、それで偉大な時が訪れると、すぐ様あらゆる人が自分の正体を現し・・・」

 

 「ですがしかし道徳は?それにまあその掟というものが・・・」

 

 「いったいあなたは何を心配しているんですか?」思いがけずラスコーリニコフが口を挟んできた。「まさにあなたの理論から導かれることでしょ!」

 

 「私の理論からどのようにしてそうなるので?」

 

 「あなたがさっき説教していたことを仕舞まで推し進めれば、人を殺してもいいことになるのでは・・・」

 

 「とんでもございません!」ルージンが大声を上げた。

 

 「いや、それはそうじゃないだろう!」ゾーシモフが反応した。

 

 ラスコーリニコフは青白い顔をして横たわっており、上唇は震え、苦しそうに息をしていた。

「罪と罰」74(2-5)

 「言わずもがな私は十分な情報を集めることはできませんでした。自身が不案内なので。」ピョートル・ペトローヴィチは慎重に反論した。「ですが二つの大変こざっぱりした小部屋でして、まあこれも非常に短い期間ですから・・・すでに真の、つまり未来の我々の住居は探してあるんです。」彼はラスコーリニコフの方を向いた。「今はその仕上げをしているところでして。で私自身は今のところ貸し部屋で窮屈な思いをしてます。ここからすぐのところにあるリッペベフゼリさんの建物の、私の若い友人、アンドレイ・セミョーニチ・レベジャートニコフの住居です。私にバカレーエフの建物を教えてくれたのがその彼なんですがね・・・」

 

 「レベジャートニコフ?」ラスコーリニコフがゆっくり言った。まるで何かを思いだそうとしているかのようであった。

 

 「そうです。アンドレイ・セミョーニチ・レベジャートニコフです。官庁で勤務している。ご存知ですか?」

 

 「ええ・・・いや・・・」ラスコーリニコフが答えた。

 

 「すみませんが、あなたの問い掛けで私にはそうなんじゃないかと思われましたよ。私はかつて彼の後見人だったんです・・・大変気持ちのいい若者でしてね・・・それに何でもよく知ってる・・・私はね若者に会うのが大好きなんですよ。彼らを通じて新しいことが何なのか知ることができますからね。」ピョートル・ペトローヴィチは期待感を持ってそこにいた全員を見回した。

 

 「それはどういう事に関してですか?」ラズミーヒンが尋ねた。

 

 「最も真面目な、言うなれば事の本質において」後を引き取ったピョートル・ペトローヴィチは質問を喜んでいるようであった。「私はですね、もう10年もペテルブルクを訪れていなかったんですよ。ありとあらゆる我が国の新しいこと、改革、思想、こうした一切は田舎に住む我々にも届いてはいます。ですがよりはっきり全てを見るためにはペテルブルクに来る必要があります。それで私の考えはというとまさにこんなことです。我が国の若い世代を観察すれば、最も多くのことを知り学ぶことができる。打ち明けて言いますが、私はうれしくなってしまったんです・・・」

 

 「つまり何に対して?」

 

 「射程の広い質問ですな。間違っているかもしれませんが、私にはより明快な意見、より多くの、言わば批判、より多くの事を実現させる力が見出せるように思われるんですがね・・・」

 

 「それはその通り。」ぼそっとゾーシモフが言った。

 

 「何を言う、事を実現させる力なんてないぞ。」ラズミーヒンが食いついた。「事を実現させる力なんて簡単に身に付くもんじゃないし、天からただで降って来るもんでもない。ほとんど200年だ。我々がありとあらゆる事を止めさせられてから・・・観念なんてもしかすると発酵してるかもしれんぞ。」彼はピョートル・ペトローヴィチの方を向いた。「善に対する希望もあります。もっとも子供じみたものですが。正直さだって見つかりますとも。もっともそこには数え切れないほどのペテン師もごった返しているわけすが。ですが事を実現させる力はやはりありません!事を実現させる力は簡単には手に入らないんですよ。」

 

 「賛成しかねますね。」隠しきれぬ喜びの色を見せながらピョートル・ペトローヴィチが反論した。「もちろん熱狂、過ちはあります。ですが寛容にならなければ。熱狂は為すべきことに対する情熱を、また為すべきことを取り巻いている誤った表面的な状況が存在していることを証拠立てているのです。もしも為されたことが僅かであったとすれば、それは時間が少なかったということでしょう。手段については言いますまい。個人的な見解をあえて言うなら、ある程度のことは為されたと思います。新しい有益な思想が広まり、いくつかの新しい有益な著作が広まった。以前の夢想的でロマン主義的なものに代わって。文学はより円熟したニュアンスを帯びています。根絶され、笑い飛ばされた有害な偏見の数々・・・。一言で言えば、我々は後戻りできない形で自身を過去と切り離したのです。私の考えとしましては、これが為されたことでございまして・・・」

 

 「パクリだ!ひけらかしてるのさ。」ラスコーリニコフが突然発言した。

 

 「何ですか?」聞き取れなかったピョートル・ペトローヴィチが尋ねた。しかし回答は無かった。

 

 「それはみな公正な意見ですね」ゾーシモフが急いで言葉を挿んだ。

 

 「そうじゃございませんか?」ゾーシモフに満足げな視線を送った後、ピョートル・ペトローヴィチは続けた。「同意しないわけにはいきますまい。」ラズミーヒンの方を向きながら彼は続けた。だがそこにはもうある種の勝利、優越のニュアンスが含まれており、あやうく“若者よ”と言い足しそうですらあった。「大いなる成果、あるいは今日言われるところの進歩が存在していることは。少なくとも科学と経済的な真理の名においては・・・」

 

 「分かりきった事さ!」

 

 「いや、分かり切ったことではございません!もしも私が、例えばですよ、今日まで“愛せよ”と説かれ、そしてそれを守っていたとしましょう。そこから生じたことは何ですか?」ピョートル・ペトローヴィチは話を続けたが、そこには過分な性急さがあったかもしれない。「生じたのはこういうことです。カフタンを二つに破り隣人と分け合った。そして我々二人は半裸状態で残った。ロシアのことわざにある“二兎を追う者は一兎をも得ず”ですね。科学が説いているのは、愛せ、何よりもまず己一人を、何となればこの世のあらゆることは個人的な利益に基礎を置いているのだから、ということです。自分だけを愛するのであれば、自分の事をしかるべくやればいいのであって、カフタンはそのまま残ります。経済的な真理はこうも付け加えます。社会において個人的な事が成立すればするほど、いわば破れていないカフタンが増えれば増えるほど、社会の基礎は強固になり、公の事も一層成立する、と。ここからすればですよ、私はただ自分のためだけに獲得しているわけですが、まさにそのことによってみなのためにも獲得していることになり、最早個人的な、個々の気前の良さに基づくのではなく、全体の成功の結果として、隣人がいくらか多くの破れたカフタンを手に入れられるようにしていることにもなるのです。単純な思想ですよ。ですが不幸なことにあまりにも長いことこちらには来ませんでした。すぐ有頂天になる性質と、空想に傾きやすい性質が邪魔をしたんです。まあしかし、思い至るには明敏さが少しは必要であるかのように見えるんですがね・・・」

「罪と罰」73(2-5)

 ピョートル・ペトローヴィチは間違いなく腹を立てていたが口を閉ざした。彼はこれらのことすべてが何を意味しているかなるべく早く理解しようと全力を挙げていた。1分ばかり沈黙が続いた。

 

 その間、返答した際わずかに彼の方に身を向きかけていたラスコーリニコフは、ある特別な興味をもって再び彼をじっくり見ることに急に取り掛かった。それはまるでさっきはまだ彼をすっかり見分けられなかった、あるいは彼における何か目新しいものが彼を驚かせたような具合であった。このために彼はわざわざ枕から上体を少し起こしさえした。実際のところピョートル・ペトローヴィチの全体的な様子において彼をひどく驚かせたのは普通ではないような何かしら、すなわちつい先ほど彼に向けてひどくぶしつけに発せられた“フィアンセ”という名称を正当化するかのような何かしらであった。第一に、ピョートル・ペトローヴィチが婚約者を待っている間にめかしこもうと首都で数日間精力的に奔走したことが見て取れる、それどころかあからさまである、ということである。もっともこれについては罪はないに等しく許されてしかるべきことだ。例え自分自身の、もしかするとあまりにも自己満足的なものかもしれないが、より良い方へ自分が気持ちよく変わるという自意識はこのような場合許されてもいいだろう。何となればピョートル・ペトローヴィチは近いうちに花婿になる身であるからである。彼の衣装はすべて仕立て下ろしで、しかもすべてしっくり合っていた。ただしみなあまりにも新しくて、あからさまにその目的を示してしまっている、ということを除いてであるが。洒落た真新しい帽子一つでさえその目的を証拠立てていた。ピョートル・ペトローヴィチは何かこうあまりにも丁寧にそれを扱い、あまりにも慎重にそれを両手で保持していたのであった。魅力的な、紛れもないジュベンの藤色の手袋でさえ全く同じことを証拠立てていた。例えそれを身に付けておらず、ただそれを盛装のために手でもっているだけであってもだ。ピョートル・ペトローヴィチの服装においては、明るい、若い世代が好むような色彩が優勢であった。彼が身に付けていたのは、気の利いた淡いブラウンのサマージャケット、明るい軽やかなズボン、同様のチョッキ、買ったばかりの凝った下着、バチストの極軽いピンクの細い縞の入ったネクタイ、そして何より素晴らしいのは、これらすべてがピョートル・ペトローヴィチによく似合ってさえいたことである。彼の顔は非常に爽やかでハンサムと言ってもよく、それでなくとも実年齢の45歳より若く見えた。黒々とした頬ひげが両側から感じよく顔面を覆い、それは二切れのカツレツのような形をしており、きれいに剃り上げられ光輝いているあごの脇に極めて美しく密生していた。髪までもが、もっともわずかに白髪はまじっているけれども、理容師の元で整えられ巻かれたそれが、この状況によって滑稽なあるいは何かしらまぬけな感じになることは一切なかった。一般に巻き髪をしていると決まってそんなことになるのだが。それと言うのも、結婚せんとするドイツ人との避けがたい類似をその顔に付与するからである。もしもこの相当にハンサムで威厳のある顔立ちにおいて不快な、嫌な感じをもたらす何かが実際にあるとしたなら、それはもう別のことに原因があるのであった。ルージン氏を遠慮なくじっくり見ると、ラスコーリニコフは毒のある笑みを浮かべ、再び枕の上に身を沈め先のように天井を見つめ始めた。

 だがルージン氏はこらえた。どうやらしかるべき時までこうした普通でない言動一切を無視するよう心に決めたようであった。

 

 「あなたがこのような状態にあることを知り大変残念に思っております。」何とか沈黙を破ろうと彼は再び話し始めた。「あなたの不調を知っていたならもっと早くに尋ねたんですが。ですがそのあちこち走り回っておりまして!・・しかも弁護士業務に関する非常に重要な案件を元老院で抱えておりましてね。あなたが推測できる例の関心事については言うまでもないでしょう。あなたの、つまりお母さまと妹さんを今か今かと待っているところでして・・・」

 

 ラスコーリニコフの体が少し動き、何か言いかけた。その表情には動揺の色がいくらか見えた。ピョートル・ペトローヴィチは一時中断して待ち構えたが、何もその後に続かなかったので続けた。

 

 「・・・今か今かと。とりあえず彼らの住まいは探し出しました・・・」

 

 「どこです?」弱々しい声でラスコーリニコフが発言した。

 

 「ここからすぐ近くの、バカレーエフの建物で・・・」

 

 「ヴォズネセスキー通りにあるやつだ。」ラズミーヒンが話の腰を折った。「あそこは貸し部屋付きの二階建てで、商人のユーシンがオーナーをやってるのさ。行ったことあるんだ。」

 

 「そう、貸し部屋のあるとこでございますね・・・」

 

 「こんなひどい場所あるかってとこだよ。不潔、悪臭、それにいかがわしい場所。良からぬことが起きるのさ。誰が住んでんだか知れたもんじゃない!・・俺自身は恥ずべき事のために尋ねたんだがね。だけどまあ安いよ。」

 

「罪と罰」72(2-5)

 それはもう若くない鯱張った威厳のある紳士で、用心深い、不平が口を衝いて出そうな顔つきをしていた。彼がなした最初のことは、ドアのところで立ち止まり、腹立たしいほどにあからさまな驚きを持って辺りを見回すことであった。それはまるで“一体俺はどこに来てしまったんだ?”と視線で尋ねているようであった。疑わしそうに、またいくらか驚いた、いやほぼ侮辱ですらあるという演技までして、彼はラスコーリニコフの窮屈で天井の低い“船室”を見回した。同様の驚きをもって視線を当のラスコーリニコフに移し見据えた。服は脱いだままで髪はくしゃくしゃ、風呂に入っておらず、みすぼらしい汚れたソファに横たわり、やはり彼を身動きせず凝視していた。その後、同様な緩慢さでもって、しわくちゃな服、そっていない髭、整髪されていない髪型というラズミーヒンの格好をじろじろ見始めた。その当人は今度はこちらの番とばかりにその場から一歩も動かず彼の目を厚かましいほどの不審さをもって真正面から覗き込んだ。緊張した沈黙が一分ばかり続いた。すると仕舞に、予期されたとおりの小さな変化が現れた。ある非常に、まあその刺激的な情報からして、ここ、この“船室”での誇張されたいかめしい態度は全く何ももたらさないであろうと判断し、入ってきた紳士はいくらか態度を和らげ、うやうやしく、もっともくだけたというわけではないが、ゾーシモフに向かって、自分の質問の音節一つ一つに明瞭な区切りを付けて言った。

 

 「ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフさん、学生あるいは元学生の?」

 

 ゾーシモフはゆっくりと少し身を動かし、ひょっとしたら返答していたかもしれなかった。もしもラズミーヒンが、呼ばれてもいない彼が機先を制しなければ。

 

 「その男はソファに寝てる!で何の用です?」

 

 この馴れ馴れしい“で何のようです?”は、鯱張った紳士を食いつかせる結果となった。彼はあやうくラズミーヒンの方を向きかけたが、なんとか自分を抑えることに成功し、すぐまたゾーシモフの方に向き直った。

 

 「あれがラスコーリニコフ!」ゾーシモフは頭で病人の方を指し示し、もごもご言った。それ後あくびをしたのだが、何かその尋常じゃないほど口を大きく開き、尋常じゃないほど長く口をそのままの状態にしていた。それからゆっくりとチョッキのポケットの入り口の捜索に取り掛かると、ばかでかい中高のふたのある金時計を取り出し、蓋を開けて見た。そして同じようにゆっくりと、面倒くさそうにまたそれをしまうために入り口の捜索に取り掛かった。

 

 当のラスコーリニコフはずっと黙って仰向けで横になったまま、執拗に、とは言ってもこれといった考えはさらさらなく、入ってきた人の方に目を向けていた。その顔は、今は興味を引いていた壁紙の花の方は向いておらず、殊の外青く、尋常でない苦悩を表していた。それはまるで苦痛を伴う手術を耐え切ったばかり、あるいは拷問から解放されたばかりといった具合であった。だが入ってきた紳士は次第に彼の注意を引き始め、疑惑、さらには不信、恐怖感のようなものさえ生じてきた。ちょうどゾーシモフが彼を指して“あれがラスコーリニコフ”と言った時、彼は突然さっと上体を起こし、ちょうど跳ね起きるようにして寝床の上に座り、ほとんど挑戦的とすら言える、だが途切れ途切れの弱々しい声で言った。

 

 「そうだ!俺がラスコーリニコフだ!何のようです?」

 

 客は注意深い視線を向けると心に訴えかけるように言った。

 

 「ピョートル・ペトローヴィチ・ルージンです。私の名前をすでに全くお聞きになっていないわけではないことを心から期待しております。」

 

 だがラスコーリニコフは全く違う何かを予期していたので、ぼんやりと物思わし気に彼の方を見て何も答えなかった。まるでピョートル・ペトローヴィチという名前を疑いなく今初めて耳にしたような具合であった。

 

 「なんと?あなたは本当に今まで何の知らせもまだお受け取りになっていない?」やや体を曲げながらピョートル・ペトローヴィチが尋ねた。

 

 この問いに対する返答として、ラスコーリニコフはゆっくり上体を枕の上に倒すと、両手を頭の後ろに回して天井を見始めた。ルージンの顔に憂悶が現れた。ゾーシモフとラズミーヒンは一層強い関心を持って彼をじろじろ見始めた。彼は仕舞いに明らかにきまり悪くなった。

 

 「私が予想していたのは」彼はぼそぼそと話し始めた。「手紙が投函されたのはもう10日あまり前、おそらくは2週間も前なのですから・・・」

 

 「あのう、なんだってずっとドアのところに立ってるんです?」突然ラズミーヒンが口をはさんだ。「説明することがあるんであれば、座ってください。二人じゃ、ナスターシャとじゃそこは狭いでしょ。ナスタシューシカ、どいてくれ、通してやってくれ!さあこっちへ。ここがあなたの席です。なんとか通り抜けてください!」

 

 彼は自分の椅子をテーブルから離し、テーブルと自分のひざの間にちょっとした空間を作ると、客がこの隙間に“なんとか通り抜けられる”よう不自然な姿勢で待ち構えた。どうあっても断れない一瞬であった。客は急いて躓きながらどうにか狭い空間を通り抜けた。椅子に辿り着くと彼は腰を下ろし、疑い深い視線をラズミーヒンに向けた。

 

 「でもまあ一つ気を悪くしないでください。」彼は不用意に発言した。「ロージャは具合が悪くなってもう5日目で、3日間はうわ言を言ってましてね。でも今は意識がはっきりして、食事までできました。こっちに座ってるのは彼の医者で、ちょうどいま診察したところなんです。で私はロージャの友人で、やはり元学生で、で今はこの通り彼の面倒を見てやっているところです。ですからあなたは我々のことは気にせず、遠慮せず、用件を進めてください。」

 

 「どうもありがとうございます。ですが私がここで会話するのは病人に差し障らないですか?」ピョートル・ペトローヴィチがゾーシモフに尋ねた。

 

 「全く。」ゾーシモフがもごもご言った。「気晴らしさせたって構いやしません。」そしてまたあくびをした。

 

 「そう、彼は大分前にすでに意識を取り戻していまして、朝からだったな!」ラズミーヒンが続けた。その馴れ馴れしさはあまりにも自然な無邪気さを備えていたので、ピョートル・ペトローヴィチは少し考えると気分が乗ってきた。もしかするとこのぼろを着た鉄面皮がそれでも一応学生であると自己紹介したことがいくらか関係しているかもしれない。

 

 「あなたの母親は・・・」ルージンが話し始めた。

 

 「ごふ!」ラズミーヒンが大きな音を出した。ルージンはいぶかしそうな目つきで彼の方を見た。

 

 「別に何でもありません。続けてください・・・」

 

 ルージンは肩をすくめた。

 

 「・・・あなたの母親は、まだ私が彼らの元にいるうちに、あなた宛ての手紙を書き始めました。こっちに到着してから私はあえて数日を無為にやり過ごし、あなたの元へは来ませんでした。あなたがすべて知らされてあることに十分な確信を得るためです。ですが今、驚いたことに・・・」

 

 「知ってます、知ってますよ!」ラスコーリニコフが突然放ったその言葉には、我慢しきれないくやしさがにじみ出ていた。「あなたでしたか?フィアンセの?もちろん知ってますよ!・・・知り過ぎてるくらいだ!」