「じゃあ!」彼は突然言うとドアの方に歩き出した。
「待てよ、待てったら、この変わり者!」
「止めろ!・・」再びそう言った彼はまた腕を振り払おうとした。
「じゃあ何のために来やがったんだ、今さら!気でも触れたか?だってこれじゃ・・・ほとんど侮辱だぞ。このまま行かすわけにはいかん。」
「まあ、聞けよ。僕が君のとこに来たのは、君以外に誰も知らないんだ。助けられるかもしれない奴を・・・始めるのを・・・なぜなら君は彼らの誰よりも善良で、ということは賢くて、だから議論することができるかもしれない・・・。でも今は分かるんだ。僕には何も必要ないってことが。いいか、何もかもだ・・・誰の助けも同情もだ・・・僕自身は・・・一人・・・もう沢山だ!僕のことは放っておいてくれ!」
「ちょっと待てったら、煙突掃除人!完全にいかれてるぞ!俺としたら、そりゃお好きなようにさ。あのな、家庭教師の仕事は俺もないんだ。なにかまうもんか。だが古物市にケルヴィーモフという書籍商がいて、こいつがある意味で仕事なんだ。俺はそれを今商売人の家庭教師の仕事五つとだって替えるつもりはない。彼はその手の出版物を拵えていて、自然科学の本なんぞを出しているんだが、――よく売れること売れること!本のタイトルだけだって大したもんだぜ!ほらお前はいつも言ってただろ、俺が馬鹿だって。誓ってもいいけどな、ロジオン、俺より馬鹿な奴がいるんだよ!今は流行の思想にも手を染めていて、彼自身は何一つ分かってないよ、でもそりゃもちろん俺は励ましているさ。ほらここにドイツ語のテキストが2枚と少しある、――俺の考えじゃ愚かしいこと極まりないでたらめさ。一言で言うと、検討されているのは、女が人間であるかそれとも人間ではないか、ということなんだけれども、そりゃもちろん厳かに人間であることが証明されているのさ。ケルヴィーモフはこれ、女性の問題に関するものを準備していて、俺が翻訳しているってわけだ。彼はこの2枚半を6枚ばかり延ばして、俺らで半ページにも及ぶ仰々しいこと極まり無いタイトルをくっ付けて、1部50コペイカで出そうとしているんだ。大丈夫さ!翻訳料として俺には1枚当たり6ルーブル、つまり全部やれば15ルーブルくらいが手に入る。そんでもって6ルーブルは先に受け取っているんだ。これを終わらせたらクジラに関するものの翻訳に取り掛かって、その後は“告白”第二部のある退屈この上ないゴシップにも目を付けていて訳すつもりなんだ。ケルヴィーモフに誰かが言ったんだ。ルソーはある意味ラジーシチェフみたいなもんだと。俺はもちろん反対なんかしてないさ。奴のことなんて知ったことか!そこでなんだが“女は人間であるか”の第2ページを訳すつもりはないか?もしその気があるなら、今テキストを持ってけよ。ペンと紙も持ってけ。みんな雇い主持ちだ。それから3ルーブルも持ってけ。俺は全部翻訳するものとしてあらかじめ受け取っているんだから、1ページと2ページ分をさ、ということは3ルーブルはそのままお前の取り分ということになるだろ。そんで1ページ終えたら、さらに3ルーブル受け取ると。それにこのことはさ、頼むから俺からの斡旋みたいには考えないでくれよ。逆にさ、お前が入ってくるや否や、俺はお前が自分にとってどう役に立つかすでに計算していたんだから。第一に俺は正字法がだめだろ。第二にドイツ語が時々からきしときてる。だから自分の名において創作する部分がますます増えることになるわけなんだが、それによってもっとよくなっているということにして慰めているわけさ。でも誰も分かりゃしないよ、もしかするとそれがより良くなっていないどころか、むしろ悪くなっているなんてことは・・・。持ってく、持ってかない?
ラスコーリニコフは黙ってドイツ語の論文数枚を受け取り、3ルーブルを受け取ると、一言も発せず出て行った。ラズミーヒンはびっくりして彼の後ろ姿を目で追った。だがすでに最初の通りに到達した後、ラスコーリニコフは突然踵を返すとラズミーヒンの元へまた上がって行った。そしてテーブルの上にドイツ語の紙数枚と3ルーブルも置くと、またしても一言も発しないまま外へ出ようとした。
「本当にアル中になっちまったのかよ!」とうとう激怒したラズミーヒンが吠えた。「何芝居してんだよ!俺まで混乱させやがって・・・一体何のために来やがったんだ今さら、畜生」
「要らない・・・翻訳・・・」そうラスコーリニコフが呟いた時にはすでに階段に足を掛けていた。
「ならお前は一体何がいるんだ?」上からラズミーヒンが叫んだ。当人は黙って下り続けていた。
「おい、お前!どこに住んでるんだ?」
回答はなかった。
「もうそんなら勝手にしろ!」
だがラスコーリニコフはもう通りに足を踏み出していた。ニコラエフスキー橋で彼は再びすっかり正気に返ることになるのだが、それは彼にとって非常に不愉快な一つの出来事が原因であった。一台の幌馬車の御者が彼の背中を鞭で強く叩いたのだ。それというのも御者が3、4回大声で注意したのにもかかわらず、彼が馬に轢かれそうになったためであった。鞭の一撃は彼をあまりにも激怒させたので、彼は欄干の方へ飛び退くと(なぜ彼が橋の真ん中、歩道ではなく車道を歩いていたかは不明である)敵意むき出しにしてギリギリ音の出る歯ぎしりを始めた。辺りでは当然のように笑いが起きていた。
「全くいい気味だ!」
「いかさま師の類さ。」
「見え透いてるよ、わざわざ酔っ払いの振りをして車輪の下に潜り込もうなんて。でもこの責任は取れ。」
「こんなことを生業にする連中ってのは、お前さん、こんなことを生業にする連中ってのは・・・」
だが彼が欄干のそばに立ち、時々背中をさすりながら遠ざかっていった幌馬車の後ろ姿を相変わらず愚かにも敵意むき出しにして見つめていた時、突然彼は誰かが彼の手に金を押し込んだのを感じた。彼が目を遣ると、そこには頭巾を被りやぎ革の靴を履いた年配の女商人、それから彼女と一緒にいる帽子を被り緑の傘を持った年頃の女が。恐らく娘なのであろう。「受け取んな、お前さん、キリストの為に」。彼が受け取ると彼らは目の前から立ち去った。お金は20コペイカだった。服装と見た目から彼を乞食と、本当の物乞いと彼らがみなすことは大いにあり得ることだった。丸々20コペイカの施しは間違いなく鞭の一撃のためだ。それが彼らに哀れを催させたのだ。