「罪と罰」37(1−6)

 彼が食べたのは僅かで、食欲はなく、スプーンで3、4杯ばかりを機械的にといった具合にであった。頭痛は弱まっていた。食事を済ますと彼は再びソファの上に長々と横になった。しかし最早寝付くことはできず、うつ伏せでじっと横になり、顔を枕にうずめていた。彼はずっと夢を見ているような状態でいた。そしてその夢想は常に非常に奇妙なものであった。最もしばしば彼の頭の中に現れたのは、彼がアフリカのどこか、エジプトのあるオアシスにいるというものであった。隊商は休憩を取っており、ラクダたちはおとなしく横になっている。周囲にはヤシの木が生えていて、すっかり辺りを取り囲んでいる。みな食事中だ。一方で彼は水を飲み続けており、それは小川から直接にであって、その小川はすぐ脇を流れていてさらさらと音を立てている。涼しいことったらなくて、それは素晴らしい実に素晴らしい青い冷たい水が様々な色の石の上を、それは清浄で金色に輝く砂の上を流れている・・・。突然彼は時計が鳴るのをはっきり耳にした。彼はビクッとして目覚め、頭を少し上げ窓を見た。時間を察知し突然飛び起きた。完全に意識を取り戻したのだ。それはあたかも誰かが彼をソファから引きはがしたような具合であった。彼は爪先立ちでドアに近寄ると静かにそれを少し開き、階段の下の方の様子に耳を澄まし始めた。心臓が恐ろしいほどドキドキしていた。だが階段部分はずっと変わらず静かで、まるでみんな寝静まっているかのようであった・・・。彼に呆れてまた不思議に思われたのは、こんな半ば意識を失っているような状態で昨日からずっといられたこと、まだ何もしておらず、何の準備もできていないのに、ということであった・・・。そうこうしている間に6時の鐘さえもが鳴ったかもしれなかった。すると尋常でない、熱に浮かされたような、ある種どうにもならない気忙しさが夢想と虚ろに代わり突然彼を襲った。準備すべきことはだがそう多くはなかった。彼は全力を傾注し、あらゆることに考えを巡らせ何一つ漏れがないようにした。だが心臓は常にドキドキし、それがあまりにも激しいので、彼は息が苦しくなってきた。まず輪を作り外套に縫い付けなければならない――すぐ片付く仕事だ。彼は枕の中に手を突っ込むと、そこに詰め込まれた下着の中から一着のすっかりぼろぼろになった古い洗っていないシャツを見つけ出した。そのぼろから彼は幅4.4センチ、長さ約35センチの編み紐をむしり取った。彼はこの編み紐を二つに折ると、幅広でしっかりした何かしら厚手の綿生地でできた夏用外套(唯一の上着)を脱ぎ、編み紐の両端を左の脇の下に内側から縫い付け始めた。縫っている彼の手は震えていたが、彼はそれを克服し、再び外套を身に付けた時には外側からは何も見えないよう仕上がっていた。針と糸はもう大分前に彼の元に準備され、小机の中に紙切れにくるまった状態で入っていた。輪に関して言うとそれは大変巧妙な彼独自の工夫であって、斧のために考えられたものだった。当然両手で斧を持って通りを歩く訳にはいかない。仮に外套の下に隠したとしてもやはり手で保持しなければならず目立ってしまう可能性がある。だが今は輪があるので、そこに斧の刃を収めさえすれば、それはずっとおとなしく脇の下で内側からぶら下がっていることになる。片手を外套の脇ポケットに差し込めば、彼は斧の柄の端をも保持することができぶらぶらするのを防げる。外套は非常に幅広で袋のようであったから、彼が何かしらの物を手でポケット越しに保持しているということなど外から見て分かるはずもなかった。この輪を彼はやはりすでに2週間前思い付いたのだった。
 
 このことが片付くと彼は“トルコ風”ソファと床の間の僅かな隙間に指を差し込み、左の隅辺りを探って、もう大分前に準備されそこに隠してあった質草を引っ張り出した。この質草はだが全く質草と呼べるような代物ではなく、単にかんなで滑らかにされた木製の小さな板で、その寸法と厚さは銀の煙草入れであればそんなものといった大きさに過ぎなかった。この小さな板を彼は偶然発見したのだが、それはとある散歩中ある小屋においてであった。ちなみにそこは離れである工房が占拠していた。その後すぐに彼はつるつるした薄っぺらい鉄の細長い一片――おそらく何かしらの破片――を小さな板の他に入手したのだが、それもやはり往来でその時に見つけたものだった。二つの小片を重ねると鉄製のほうが木製のよりも小さかった。彼はそれらを糸で固く十文字に結びつけた。そしてそれを几帳面にかつ洒落た感じにきれいな白い紙にくるむと、細い編み紐でやはり十文字に縛った。結び目は解くのにやや頭を使うようにした。それはしばらくの間老婆の気を逸らし、つまり彼女が結び目に手間取り出した隙にできるチャンスをとらえるためであった。鉄の小片が付け加えられたのは重さを考慮してのことであって、最初だけでも老婆に“物”が木であることを悟られないようにするためであった。これら全部が時期が来るまで彼のソファの下で保管されていたのだ。彼が質草を取り出すやいなや、突然どこかの中庭で誰かの叫び声が響き渡った。

 「6時過ぎだよ、とっくに!」

 「とっくに!なんてこった!」

 彼はドアの方に駆け寄り聞き耳を立てた。そして帽子を掴むと、然るべき13段を慎重に音を立てないようまるで猫のように降り始めた。待っていたのは最も重要な仕事――台所から斧を盗み出す、であった。事が斧によってなされなければならないということについてはもう大分前に彼の中で決まっていた。彼は園芸用の折り畳み式ナイフも持っていたが、ナイフにまた取分け自分自身の腕力に期待していなかったので斧を最終的に選んだのだった。このついでにこの事においてすでに彼に採用されたあらゆる最終的な決定に関する一つの特徴を記憶に留めておこう。それらは一つの奇妙な特性を備えていた。つまりそれらが最終的であればあるほどより醜悪で不合理なものにすぐ彼自身にさえ見えてくる、ということだった。あらゆる苦しい内的な葛藤にも関わらず、彼は決してほんの一瞬でも己の企ての実現可能性を信じることができなかった。それもこの間ずっとなのだ。

 もし仮にあらゆることがもう最後の点まで彼によって詳細に検討され、最終的に決定され、最早これ以上どんな疑わしい点もないということに実際ある時なったとしたら、――その場合であれば、恐らく彼はあらゆることを、馬鹿馬鹿しいもの、ぞっとする程恐ろしいもの、不可能なものとして断念しただろう。だが未解決の点、疑問はまだ山ほど残っていた。どこで斧を入手するかということについては、彼はそんな些細な事を少しも心配していなかった。というのもこれ以上容易なことはなかったからである。実を言うとナスターシャは、特に夕方なのだが頻繁に家を空けていたのである。隣人のところか商店にいそいそと出かけて行き、ドアは常に開け放しになっていた。女家主はこれだけのために彼女と口論になるのであった。そんな訳で時間になったら台所に忍び込んで斧を失敬し、後は一時間後に(すでに全部片付いた時点で)元の所に戻しさえすればよかった。だが疑問も頭にはあった。一時間後に戻って来て返すということだが、ナスターシャがちょうどその時帰っていたらどうしよう。当然通り過ぎて彼女が再び出て行くまで待つ必要がある。だがもしその間に斧がないことに気付き、探し始め、大声を出されたらどうしよう――そうなったら疑惑があるいは少なくとも疑惑のきっかけが生まれてしまう。