「罪と罰」26(1−4)

 まあいい母さんは仕方ない、勝手にするがいいさ、ああなんだから、でもドゥーニャはどうしてだ?ドゥーネチカ、お前、俺はお前さんのことは分かっているぞ!お前はもう数え年で二十になっていたよな、最後に会った時は。お前さんの性格はすでに掴んでいたよ。母さんは書いていたじゃないか、“ドゥーネチカは多くのことに耐えることができる”、って。そんなことは知っておりましたよ。2年半前にすでにそのことを知り、以来2年半そのことについて考えてきた、そのことについてというのは、“ドゥーネチカは多くのことに耐えることができる”ということについてだ。スヴィドリガイロフ氏に、奴がらみで生じたあらゆる結果に本当に耐えることができるんだとしたら、実際多くのことに耐えることができるということになる。で今回母さんと一緒になって、ルージン氏にも耐えることができると思い込んでいるってわけだ。極貧状態から引っ張り出され、夫に恩を施された女のメリットについてご高説を披露する奴だぜ、それもほとんど最初の対面で。まあいい仮に奴が“うっかり口を滑らした”ということにしよう、理知的な人ということだがな(だからひょっとすると口を滑らしたということでは全然ないのかもしれない、つまりできるだけ早く明らかにすることは計算通りだった)だがドゥーニャ、ドゥーニャは?だってあれにはあいつの正体がはっきり見えているはずだ、それでいてあいつと暮らさなければならないのか。一片の黒パンを水で流し込みはする、だが心は売らない、己の精神的な自由を快適さのために手放したりはしない。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州全部のためにだって手放したりするもんか。ましてやルージン氏のためになんか。違う、ドゥーニャはそんな奴じゃない、俺が知っている限りでは、それに・・・まあいい、もちろん今も変わっちゃないさ!・・言うまでもない!スヴィドリガイロフ家は耐え難いさ!200ルーブルのために一生女家庭教師として県をまたいでぶらぶらするのは苦しい。だがそれでもやはり俺は疑っちゃいない、妹は尊敬していなくて分かち合うべきものがない人と一緒になって己の精神と道徳的な感情を卑劣にするくらいなら――生涯をただ己の個人的な利益のために、大農園主の下で黒人になるか、あるいはバルト海沿岸のドイツ人の下でラトヴィア人になるかするはずだ!仮にルージン氏の全身が純金だけであるいは完全なダイヤモンドでできているとしても、その場合だってルージン氏の合法的な妾になることに同意なんかしないさ!いったいなぜ今さら承諾する?いったいどんな企みが?答えはいったいどこに?事は明白さ。自分自身のために、快適な生活環境のために、死から己を救うためにだって自分を売ったりしない、だが他人のためになら売る!愛する人のため、崇拝している人のために売る!企みのすべてはまさにここにあるのさ。つまり兄のために、母のために売る!何もかも売ってしまうのだ!ああ、その場合我々は、必要な場合には、道徳的な感情さえも押し殺してしまうのだ。自由、安心、良心さえも、すべて、すべてをのみの市に持って行く。人生なんてどうでもいい!この最愛の人々が幸せでありさえすれば。そればかりじゃない我々は独特な詭弁を考え出し、イエズス会士たちのもとで覚え込む。そして当分の間おそらく自分自身さえも安心させ、そうしなければならなかったのだ、善なる目的のためには実際そうでなければならなかったのだ、そう自分に信じ込ませる。そんなものなのさ我々は。というわけで全てはお天道様のように明らかってわけだ。はっきりしているのはこの場合他でもない、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフが入口に立っており最重要人物ってことだ。言うまでもないんじゃないですか、彼を幸せにして、大学の面倒を見て、事務所では同僚にして、その全運命を保証してやることができる。おそらく後には金持ちになり、名誉があって尊敬に値する、もしかすると栄光にさえ包まれた人物として人生を終えるかもしれない!じゃあ母親は?だってここにいるロージャは、掛け替えのないロージャは第一子だぜ!そんな第一子のためなら、ああした娘だとしても犠牲にしないなんてことがあるか!ああ優しくて不公平な心を持つ人達!いったいどうなっているんだ。こんな場合我々はソーネチカの運命であってもおそらく逃げたりはしないのさ!ソーネチカ、ソーネチカ・マルメラードヴァ、永遠のソーネチカ、世界ある限り!犠牲を、犠牲をさ、あんた方二人はよく計算したのかい?そうなのかい?なんとかなるのかい?ためになるのかい?賢明なのかい?お前さんは分かっているのか、ドゥーネチカ、ソーネチカの運命はルージン氏と一緒になる運命より少しもいやらしいものではないということを?“そこに愛は存在するはずもありません”、――と母さんは書いている。でも愛の他に尊敬も不可能だったら、それどころかすでに嫌気、軽蔑、嫌悪が生まれているとしたら、その時は一体どうなる?その場合にはまた、つまり“身奇麗を心がけ”なければならない、ってことになるのさ。そうじゃないの?分かっているのかい、あんた方は分かっているのかい、この身奇麗が何を意味するか?あなた方は分かっているんですか、ルージン夫人の身奇麗はソーネチカの身奇麗と何ら違いはないということを、それどころかひょっとすると一層悪く、いやらしく、卑劣ですらあるかもしれない。なぜならお前さんのところには、ドゥーネチカ、それでも有り余る快適さが見込めるが、向こうじゃ腹を空かして死ぬことだけが問題なんだからな!“高く、高くつくぜ、ドゥーネチカ、この身奇麗ってやつは!”それでもしも後になって手に負えなくなったら後悔するのかい?悲しみはどれほどに、他人に隠されている憂鬱、悪口、涙はどれほどになることか、なぜならお前さんはあのマルファ・ペトローヴナとは違うだろ?じゃあ母さんはその場合どうなる?あの人はすでに今も不安で苦しんでいるんだぜ。すべてがはっきり分かった時には?そして俺は?・・あんた方は俺のことについて本当はいったい何を考えていたんだ?あんた方の犠牲なんていらない、ドゥーネチカ、御免だよ、母さん!そんなことは有り得ない、俺が生きているうちは、有り得ない、有り得えん!門前払いだ!》