島崎藤村 「新生」1

 芥川龍之介は「或阿呆の一生」の中で「新生の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。」と述べているが、いったいこれはどういうことを意味しているのだろうか。
 「新生」は藤村の実生活において実際に起きた姪との恋愛事件を赤裸々に綴った小説と考えられている。まだ幼い子供を残したまま妻に先立たれた主人公の元に二人の姪が手伝いに来ていた。姉の方はしばらくすると嫁いで出て行ったが妹の方はその後も残った。主人公の岸本はこの姪の節子と関係を持つようになる。その後子供ができたことが分かると恐ろしくなった岸本は節子とその子供のこと一切を次兄(節子の父)に任せ自分はフランスに旅立ってしまう。節子は人知れず出産し、その子供は養子に出される。3年以上に及ぶ外遊から帰国した岸本はあろうことか再びその姪と関係を持つようになる。岸本はこの関係を清算するため今までひた隠しにしてきた姪との関係を小説にして発表する。秘密にしておくことを強く希望していた次兄は岸本に絶縁状を送り、節子を台湾にいる長兄の元に預けてしまう。
 これだけ聞くと岸本は実にひどい男である。結婚もできないのに姪と肉体関係を持ち、その結果できた子供は養子に出し、社会的に抹殺されるのがいやだから外遊と称してフランスに逃げ、合わす顔がないから二度と日本には戻って来ないつもりだったのにおめおめと帰国し、帰国したかと思ったら再び姪と関係し、仕舞にはいろいろと世話になった次兄の意に反して小説を発表し、そのことで姪と手を切るというとんでもない野郎なのだ。特に小説を発表することに至っては小説家のお前はいいが他人に知られたくないであろうことを書かれる節子が可愛そうじゃないか、そんな感想を多くの人が持つのではないだろうか。ところがこの小説を読むと主人公と節子の内面がリアルに描かれているため、外面的にのみ知られていたこの恋愛事件が当事者の立場に寄り添って理解できるようになる。その結果両者の間に相思相愛の男女関係が確かにあったことが分かる。すると事のあらましだけを人づてに聞いてひどいやつだと決めてかかっていた自分の意見がぐらつき出す。特に小説を発表することについては、それが二人の「新生」を促すための重要なきっかけとなっているので、迷惑のかかる人がいるのは間違いないが二人にとってはプラスになるのではないか、そんなふうに思えてくる。
 岸本のしたことは外面的に見れば、あるいは世間の目から見れば実に利己的だ。しかし岸本の姪に対する愛情は偽りのないものであるし、またその一連の行為は二人の「新生」にとって「善い」ことであったかもしれない・・・。芥川はこのような感想を読者にもたらし、姪にそれを確信させ、もしかすると自分自身にさえ信じ込ませることができたかもしれないその手際が「老獪」だと言っているのではないだろうか。それがそうだとしたら「老獪」という評は、「新生」が実によくできた小説だと評しているのと同じことになると思うのだが。