「罪と罰」13(1−2)

 「お若い方」再び頭を上げながら彼は続けた。「あなたの顔に私はある種の悲しみのようなものを読んだのです。入って来るなりそれがぴんときたので直ぐあなたに話しかけました。と申しますのは、あなたに身の上話をすることでこのお祭り好きな連中の前で自分を見世物にしたかったんじゃありません。彼らはそんなことしなくてもすでに全部知っています。そうではなく繊細で教養のある人間を探しているからなんです。聞いて下さい、私の妻は上品な地方の貴族学校で教育を受け、卒業する時には県知事や他のお歴々の前でショールを羽織って踊りました。それで金メダルと賞状を授与されたのです。メダルか・・・うんあのメダルは売られてしまった・・・もうかなり前に・・・ふむ・・・賞状は今でも長持ちの中にしまってあります。つい最近もそれを家主に見せていました。もっとも家主とは年がら年中けんか状態にあるんですけどね。でもせめて誰かしらの前で鼻を高くして、過去の幸せな時代についてしゃべりたかったんですよ。私は責めたりなんかしません、責めませんとも。と申しますのもこれこそが彼女の思い出に残された最後のもので、他のものはすべて無に帰してしまったからです!そう、間違いなく情熱的で、誇り高い、毅然としたレディーですよ。自分で床を磨き、ひどく貧しい生活をしていますが、自分に向けられた無礼は許しません。だからレべジャートニコフ氏の無礼を許したくなかったのです。それでレベジャートニコフ氏がそのお返しに平手をくれた時、叩かれたためというよりも感情的なことが原因で病気になってしまいました。すでに未亡人となっていた彼女を3人の子供と一緒に引き取りました。揃いも揃って幼い子ばかりでした。最初の夫、歩兵士官とは恋愛で結婚し、親の家から飛び出したのです。夫を愛すこと尋常じゃありませんでしたが、彼がトランプに手を出すと裁判にかけられ、それと同時に死んでしまいました。終わり頃には彼女をぶちました。もっとも彼女だって黙ってはいませんでしたが。こうしたことについては、私は資料からも正確に知っているのです。ですが今に至るまで彼のことを涙ながらに思い出し、私を彼と比較して責めるのです。それでもね、私はうれしいんですよ、うれしいんです。と申しますのは、それは想像上のことかもしれませんが、以前幸せだった自分を見つめているんですから。こうして彼女は彼の死後、年端もいかぬ3人の子供と共に辺鄙な殺伐とした郡に残されました。そこに私も当時いたのです。あまりにも絶望的な赤貧状態で残されたので、様々なレアケースをたくさん見ている私でも口にするのがはばかられる程でした。親類はと言えばみな断りました。確かにプライドも高かった、あまりにも高くて・・・。その時です、旦那様、その時やはりやもめで、最初の妻との間にできた14才の娘を連れていた私が手を差し伸べたのです。と申しますのは、そんな苦しみを見ていられなかったからです。想像が付くんじゃないですか、彼女の不幸がどれ程までになっていたかということは。何しろ教育があって育ちの良い名門の出の彼女が、私のような者のとこに来ることに同意したんですから!とにかく来たのです。泣いて、号泣して、手を揉んで来たんですよ!と申しますのは他に行くところがなかったからなんです。お分かりになりますか、どうでしょう、旦那様、もう他に行くところがないということが何を意味するか。いや!このことはまだお分かりにはならない・・・。そして丸一年私は自分の職務を戒律を守るように揺るぎなく全うし、こいつとは無縁でした。(彼はウォッカの瓶を指し示した。)と申しますのは、感情があったからです。ですがこのことをもってしても満足させることはできませんでした。で、ちょうどその時職を失ったのですが、これまた私の責任ではなくリストラによるものでした。そしてこの時手を出したのです!・・もう一年半ばかり前になりますか、気付くと私たちは放浪と数多くの災難を経た後、ついにこの華麗にして多くの記念碑によって飾られた首都にいました。そしてここで私は職を手に入れたのです・・・手に入れたのですがまた失ってしまいました。お分かりになられます?この時はもう自分自身の責任で失ったのです。と申しますのは私の癖が始まってしまいましたので・・・。今はアマーリヤ・フョードロヴナ・リペヴェフゼーリという人のところの貸間でなんとかやっております。どうやって生活しているのか、またどうやって家賃を払っているのか私は知りません。あそこには私たち以外にも多くの人が暮らしてはいますが・・・ソドムでございます。目も当てられません・・・うむ・・・そう・・・でまあそうこうしている間に私の娘、最初の結婚でできた娘も大きくなりました。あれが、私の娘が成長の過程で、継母からの一体何を耐え抜いたかについてはあえて触れずにいるわけですが。と申しますのは、カテリーナ・イヴァーノヴナは確かに寛大な感情に満ち溢れているのですが、熱しやすく怒りっぽい夫人なんです。それで人の話を聞かないことも・・・。そうでございました!このことについては思い出すようなことは何もありません!教育は、想像されるようにソーニャは受けておりません。4年ばかり前、彼女に地理と世界史を勉強させようと試みました。ですが私自身この分野の知識があやふやであることに加え、これに適した参考書がないのです。と申しますのは手元にあった本というのが・・・ふむ!・・ええ、あれももう今やありません。あの本は。そんなことで教育はすべて終了となりました。ペルシアのキュロスのところでストップしたままです。その後はもう大人になってからですが、ロマンチックな内容の本を数冊読みました。でそう最近またレベジャートニコフ氏の助力で一冊の本を、――リユイスの《生理学》、ご存知でいらっしゃいますか――大変な興味を持って読みました。私たちにまで断片的にでしたが声に出して教えてくれましたよ。これが彼女の教育のすべてです。