「罪と罰」10(1−2)

 ラスコーリニコフは人だかりに慣れておらず、すでに述べたようにあらゆる付き合いを避けていた。特に最近はそうだった。しかし今回は突然何かが彼を人々の方へ引き寄せた。何かが彼の中で起きた。それはまるで今までに経験したことのないような何かだった。そしてそれと同時に人々に対する渇望のようなものが感じられた。彼は憂いにどっぷり浸かり、黒い感情をかき立てられた丸一月に疲れ切ってしまったため、例え一瞬でもいいから別の世界で、それがどんな場所であろうとも一息つきたかったのだ。内装が至るところ汚れているのにも関わらず、彼は今満足して酒場にとどまっていた。

 店の主人は別の部屋にいたのだが、しばしばどこからか小さい階段を下ってメインルームにやって来た。その際一番先に見えてくるのは大きな赤い折り返しのあるお洒落な保革オイルを塗ったブーツであった。彼は膝まである半コートと長く用いて脂のついた黒い繻子のチョッキを身に付けていて、ネクタイはしていなかった。その顔は至る所脂を塗りたくられているようで、鉄の錠前といったところだった。小さなカウンターの向こうには14才くらいの少年ともっと若い別の少年もいて、彼は何か注文を受けた場合に提供していた。そこに並んでいたのは、細かく砕かれたきゅうり、黒い乾パン、小さく切り分けられた魚で、これらがみな強烈な悪臭を発していた。蒸し暑かったので座っていることが堪え難くさえあった。あらゆるものに酒の匂いがあまりに染み込んでいたので、ここの空気を一息吸えば5分で酔っ払ってしまうかのように思われた。

 一目見た瞬間からどうかして突然、不意に、言葉を交わす前だというのに関心を持ち始めてしまう赤の他人との出会いというものがある。まさにそうした印象をラスコーリニコフにもたらしたのは、少し離れたところに座っている退職した役人に似たあの客だった。青年は何度か後になってこの最初の印象を思い出し、それを予感だとみなしさえした。彼がちらちら役人の方を見たのは、もちろん、当のその男が執拗に彼の方を見ていたからでもあり、たいそう声をかけたがっているのが明らかだったからでもある。酒場に居た他の者たちに対しては、店長をも含めて、役人はなんとなくいつものように視線を向けていたのであるが、そこには退屈さえも、また同時にいくらか思い上がった軽蔑のニュアンスも含まれていた。それはまるで最下層の原始的な人間、彼が話し相手になるべきでない人間を見ているかのような視線であった。すでに50は超えているであろうその男は、中背のがっちりした体格で、白髪がわずかに混じっており、かなり禿げていた。顔は常習的な飲酒のためにむくんで黄色く、緑がかってさえいた。まぶたは少し腫れており、その奥からは割れ目のように極細の、だがはつらつとした赤っぽい小さな目が光を放っていた。しかし彼にはどこか非常に変わったところがあった。その目つきには感激しやすい性質とさえ言えるようなものが表れていた――おそらく理解力も知性もあったであろう――しかし同時に狂気のようなものもちらついていた。彼が身に着けていたのはボタンの取れた古いぼろぼろの黒い燕尾服だった。一つのボタンだけがどうにかまだぶら下がっていて、まさにそのボタンをかけていたのだが、それはどうやら礼儀を欠きたくないためのようだった。南京木綿のチョッキの下から飾り胸当てがはみだしていた。それはしわだらけで汚れており、しみがついていた。顔は役人風にきれいに剃り上げられていたが、大分前だったため、青みを帯びたごわごわしたひげがすでに濃く生え始めていた。そしてそのしぐさには確かに役人然としたところがあった。しかし彼に落ち着きはなく、髪をかきむしったり、汚れてべとべとしているテーブルに穴の開いた肘をつき、憂いに沈んで時折両手で頭を支えたりしていた。とうとう彼は真っ直ぐラスコーリニコフの方を見て、大きな声でしっかりと言った。

 「失礼ながら、旦那様、礼節のある会話をさせていただけませんか。と申しますのは、確かに見た目は立派とは言えませんが、私の経験からするとあなたは教養があって、お飲み物には縁遠い人物とお見受けしたのですが。私自身はといえば、本物の感情と結ばれた教養を常に敬っておりまして、それに付け加えさせていただきますと、九等文官として勤めております。マルメラードフ――そんな名字の九等文官です。お尋ねしてもよろしいでしょうか、お勤めしていらっしゃる。」

 「いえ、学校に行ってます・・・・」独特な気取った口調と、あまりにも率直に面と向かって話しかけられたこととにやや驚いて青年は答えた。どんな形でもいいから人と関わりたいというついさっきの瞬間的な欲求にも関わらず、彼は実際自身に向かって発せられた最初の言葉を耳にして、突如としていつもの不快な、苛立ちの感情を味わった。それは彼の人格に触れてくる、あるいはわずかでも触れたいと望むあらゆる他人に対する強い不快感の感情であった。

 「大学生、ということは、あるいは元大学生!」役人は叫んだ。「私が思った通りだ!経験ですよ、あなた、積み重ねられた経験です!」すると自画自賛の印に彼は指を額に当てた。「大学生だった、あるいは学科を修めていたってわけですか!ところですみませんが・・・」彼はちょっと腰を浮かしてよろけると、器とコップを手にし、それから青年のそばへ、いくらか斜向かいになって座った。彼は酔っ払ってはいたが、雄弁に威勢よく語った。もっとも時折ところどころ少し話題がそれたり、話を長引かせたりしながらではあったが。ある種の渇望さえ伴って彼はラスコーリニコフに襲いかかった。それはまるで彼もまた丸一月誰とも話をしていなかったかのようであった。